前回のつづき、シリーズ最終回です。
成増菅原神社の南正面参道を降りると板橋区立天神公園があります。
その公園の北西端十字路から北西方向。左に向かう歩道がかつての百々向川跡の下流方向で、この先300m程で白子川に合流します。
上記を背に、その先の交差点で右折して、なります児童館の向かいにあった「百々向川緑道」の標識。
緑道は東の台地上からの坂道を横切るのに登ったり降りたりで続きます。坂をなだらなにするために、そこだけ盛土されたようです。
その上流側に成増駅が。
かなり地形が改変されていますが、西友の北側の自転車置き場は水路の跡。
板橋区立成増公園から東上線をくぐるまでの道は川跡をなぞって曲線を描きますが、途中で盛土した道路に阻まれます。
回り込んで道路の反対側の”糸杉の道”を辿ると、いかにも川跡が。
その先で東上線をくぐり、川跡を回り込んだり入り込んだり。
川越街道に出るところに「小治兵衛窪庚申尊」があります。
大きな庚申塔でした。
盗賊が罪滅ぼしに橋をかけたのだそう。
http://itacco.net/2018/05/01/kojibei/
ということは、百々向川にかけたのですね。
庚申塔の前から、川越街道の歩道橋を渡ります。降りる先に川跡。
赤塚高台通りに出て緩い坂を登っていき、万歳する子供の像から緑道を東へ。
その先にある板橋区立下赤塚公園。
突然現れた大人のグループに子どもたちがちょっと驚いていました。
公園内には児童用のプールも。
そのあたりから振り返って。
東京時層地図アプリでも調べてみました。
現在の地図ですが、中央の空白が下赤塚公園。プールも載ってます。
100年近く前の同じ位置。川が見えます。
昔の地図にある川は、公園の先にも暗渠細道として残っていました。
(先頭を歩かせていただきまして感謝)
マンホールの連続、排水管、苔のむし具合など、いかにもの好例。
細道はいきなり住宅街へ出て終了。写真奥の右から来る道の対面が出入り口です。
なんとなく浅いスリバチ形状で、このあたりがかつての百々向川の源でした。
東京時層地図の昭和戦前期で縮尺を小さくしたもの。
右側が百々向川の流れですが、中央左下に兎月園の池も載っていました!
以上でツアー報告終了です。
今回も盛りだくさんのポイントを楽しく案内していただいた皆川会長に御礼申し上げます。
このツアーに参加したのは5月22日でしたが、その翌日に地図子さんのレポートが出ていたので臨場感をもって楽しませていただきました。
上流側から始めておられるので、今度は下流に向かってどうぞ!