2か月ほど前、5月22日土曜日に板橋区・練馬区・和光市の境あたりの凹凸地形を愛でるツアーに参加しました。
”ホスト”は『凹凸を楽しむ東京「スリバチ」地形散歩』等の著者でもある東京スリバチ学会の皆川会長。
【板橋区成増】スリバチ会長とめぐる驚愕の凹凸地形・成増 | TABICA この体験が、旅になる。
”TABICA”が仲立ちする皆川会長のツアーに参加するのは3回目です。
集合場所は成増駅。
初めて降りる駅でしたが、東武東上線成増駅と地下鉄成増駅とが微妙に離れて2つあることを知りました。
一行は成増駅南口を出て右手の商店街の坂道を下りました。その先の川越街道から振り返った商店街・なりますスキップ村。
川越街道の様子。南東方向。
街道を南に渡った先の正面の道を緩く上っていきます。
途中で右手に見た枝道。先は下り坂。
兎月園(とげつえん)の名は、電柱の看板「兎月園通り商店会」に残っています。
Wikipediaにょれば、兎月園は大正末期に貿易商の花岡知爾(ともちか)が、東武鉄道の根津嘉一郎の協力を得て開設し、戦時中まで続いた”総合娯楽施設”。
もとは農園だったところに人が集まり、数寄屋造りの茶店や料亭、ボート池、テニスコート、小動物園、運動場、映画館、露天風呂などが整備され、料亭は政財界の大物にも利用されたとのこと。
第二次世界大戦の激化のため利用者が減少し、1943年に経営が成り立たず閉園に追い込まれて農地や住宅地に変わり、一部は豊渓中学校の校地になっているそうです。
早速その跡地へ。”兎月園通り”から西側のゆるいスリバチ地形に入ります。
住宅が建て込んでいますが、斜面に沿う細道が。
南側、段々に高くなった向こうは豊渓中学校。
水になった気分で地形の低いほうへ進んだ突き当たり。
かつてはここに池があり、水辺に面して数寄屋造りの日本家屋が建っていました。
練馬区のサイトにはその兎月園本館や庭、”動物舎”の写真(絵葉書)とともに、開設者のご親族の花岡信男氏へのインタビューが掲載されています。
こちらの”みどりのまちづくりセンター”のpdfには、わかりやすいマップが。
https://nerimachi.jp/komorebi62_2.pdf
こちらの、板橋ハ晴天ナリさんのブログでは、兎月園の園内案内絵図や運動場の写真絵葉書も。
そうだ、超ひさしぶりに兎月園の写真を追加しよう。: 板橋ハ晴天ナリ
南側の段上から。兎月園はスリバチ地形にあったことがわかります。
一行は、兎月園通りの東側に並行する直線細道を南へ。
途中で右手に昭和の建物。
途中で振り返った細道。
ここはかつての水路跡で、上流は光が丘公園、下流側が兎月園へつながっていました。
板橋区と練馬区との区境でもあります。
終点は光が丘公園の北端。
その前身は戦時中に造成された陸軍成増飛行場、戦後の米軍住宅地グランドハイツなので、地形はかなり改変されています。
上記の道(光が丘西大通り)を西に少し進んで振り返ったところ。
信号の左に、それまで辿って来た細道がありますが、道路の凹みがかつて川があった痕跡を残しているようでした。
このあと、光が丘公園の北西側に伸びる「はんの木緑地」へ入りました。
つづく。
兎月園で検索すると、その位置関係や歴史を非常に詳しく辿っているtokyoriverさんのサイトに行き当りました。