墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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三年坂上の変化と、港区No.33遺跡“跡”付近 東京都港区麻布台

麻布台ヒルズになる前、2016年10月時点での、三年坂の上からの我善坊谷。

 

現在(2024年2月)の様子。

若干画角がずれましたが、手すりの向こう側のコンクリ壁や、右寄りの3つのビルが同じであるのがわかるでしょうか。

かつてのスリバチ地形が眠っています。

 

こちらは昨年秋、施設竣工前に柵の外側から広角で撮ったもの。

上記右寄りの3つのビルは中央に小さく写っています。

 

グーグルマップにはこの道は記載されていないようですが普通に行けました。霊友会釈迦殿の西(左)を北へ上がって、Pの前で左を向いた感じです。

階段の手前のスロープを進むと、中央広場・麻布台ヒルズアリーナへ出ます。

 

2016年10月時は左の崖上に、解体中の麻布郵便局建物が見えていました。

 

東京都遺跡地図を見ると、郵便局の建物裏、崖の縁に古墳の赤丸が。

クリックすると、港区№33遺跡と。(古墳の後ろに?がつきますが)
時代 :古墳時代
種別 :古墳?
主な遺構/概要:円墳

中央広場の標高は、かつての崖の中程あたりかと思われます。森JPタワーではB1の表示でした。


タワーを入ってエスカレータを上がったところが1階で、南側の道路と同じ平面になりますが、その北端の中空に並ぶ、オラファー・エリアソンの作品「相互に繋がりあう瞬間が協和する周期」の真ん中あたりがかつての古墳(?付き)があった位置かと想像します。


もし、崖面がセットバックされていたなら、この池のあたりかもですが。

ちなみに、瓢箪状の島にあるのは曽根裕によるパブリックアート作品「石器時代最後の夜」のひとつです。