前回のつづき。
妙定院を訪ねた折、通りを挟んで向かいの台地上にある芝丸山古墳を訪ねた。
古墳は標高約16mの台地の上に位置している。左はザ・プリンスパークタワー東京。
少し西側から。丘の上に都内最大級の前方後円墳が今も残る。
東京都遺跡地図情報見ると、かつては隣接するホテルの敷地に円を描くように9基の円墳(丸山古墳群)が存在したことが示されている。
昨年の同じ時期と3年前の6月にも訪ねた。東京で最も行きやすい古墳のひとつ。
南側からの墳頂へは結構登る。
途中木々の間から妙定院の屋根が見えた。
上った先は前方部の端。奥(北)が後円部で、全長は106m前後ある。
前方部幅は約40m。先のくびれ部は約22mとすぼまっている。
くびれ部の東側には稲荷神社が置かれている。
広場のような後円部は径約64m。解説板によれば、明治31年に坪井正五郎によって調査されたが、すでに主体部(埋葬施設)は失われていた。埴輪は出土している。
江戸時代以降にかなり原形を損じられていて、とくに墳頂部や後円部西側は削られてしまっている。
後円部西側の塀。崖の先にはタワーホテルが聳える。
後円部から前方部。
解説板によれば、前方部が狭く低い形態や、占地状態などから5世紀代の築造とみられており、そのころ付近の低地の水田地帯に生産基盤をもち、南北の交通路をおさえていた南武蔵の族長の墓だったと考えられるそうだ。
後円部のすぐ北には増上寺。
木々の間からの東京タワー。
後円部頂はベンチもあって憩いの場所にもなっている。
後円部から東側。こちら側にも上り口がある。
くびれ部下に回りこんで稲荷社に参拝。
増上寺がこの地に移築当時に桑名から勧請した円山随身稲荷大明神とのことだった。
その横には芝丸山古墳の石碑と解説板がある。
再び南側の通りに出て、赤羽橋の交差点から見上げた東京タワー。
その左(西)側には飯倉交差点の高台へ上る土器坂(かわらけざか)が遠望できた。