前回の豊後森から、水たまりのある高速道路を東へ進み、1時間強で国宝の摩崖仏で有名な臼杵に着いた。
駐車場に停め、拝観料550円を納めて見学路へ。
国宝・特別史跡 臼杵摩崖仏と満月寺・日吉社
臼杵摩崖仏(深田・中尾石仏群)とは、ホキ石仏第一群、ホキ石仏第二群、山王山石仏、古園石仏の4群に分かれた61体の仏像です。造立は、いずれも平安時代末期から鎌倉時代末期(12世紀末~14世紀末)に行われました。このように多くの摩崖仏が彫られた背景には「臼杵荘」と呼ばれたこの一帯が、栄華を極めた藤原氏の流れをくむ九条家の所領だったことと深い関係があります。
仏教美術の研究者によると、ホキ石仏第一群、ホキ石仏第二群、古園石仏は、京都や奈良の一流の物資が製作したといわれています。これは、九条家が天台宗の総本山である比叡山延暦寺とも深い関係を持っていたので、一流の物資が臼杵に派遣され、臼杵摩崖仏が造立されたと考えられます。そして、臼杵摩崖仏が彫られたのと同時期に、その一帯にはこの摩崖仏を本尊とする「満月寺」という天台宗の大きな寺院が建立されていたことが、江戸時代の記録「寺社考」や発掘調査により確認されています。また、山王山石仏の直上には満月寺の鎮護社である日吉社が同時期に建立されました。天台宗の広がりとともに延暦寺の鎮護社である「日吉大社」が分けられて、全国に日吉社が建てられるようになります。山王信仰の神、大山咋神などを主祭神とすることから「山王社」とも呼ばれており、深田の里の入口にある「深田の鳥居」の額束の上部が風化して読めませんが「■王」と刻まれていることから、日吉社の鳥居であったと思われます。
臼杵摩崖仏を満月寺・日吉社は、臼杵荘が仏の力で護られ、そこに住む人々が極楽往生できるよう祈りをこめて造られたと考えられています。(後略)臼杵市教育委員会
歩き始めると、やはり雨が。
4カ所ある摩崖仏はすべて”屋内仕様”で、雨でも見学しやすい。
最初の覆い屋は、ホキ石仏第二群。
保存修理前では、庇は仏様のみを守っていた。
冒頭の写真にあった、ホキ石仏第二群の解説部分。
ホキ石仏第二群 第一龕・第二龕
阿弥陀浄土を表した空間で、阿弥陀三尊からなる第一龕と、九品阿弥陀からなる第二龕により構成されています。
手前側に九品阿弥陀。
こちらが阿弥陀三尊。
阿弥陀三尊を正面から。
岩を彫り抜いたとは思えない立体感。
脇侍の菩薩様。
阿弥陀様が見ている方向。
覆い屋の遠望。結局激しく降り出した。
さらに園路を上がると、ホキ石仏第一群。 三体の如来像。
ホキ石仏第一群
四龕からなる摩崖仏群で、第一・二龕は三体の如来像を並列して彫る極めて珍しい配列をみせています。第三龕は大日如来を中心に両脇に如来・菩薩像を配置した小さな仏像群です。第四龕は摩崖仏では珍しく、地蔵菩薩を中心に地獄の裁判官「十王」が彫られています。
4つの「龕」が並び賑やか。
台座の前に広がる衣文。これも岩の中から彫り出したようには見えない。
解説によれば”珍しい”、十王に囲まれた地蔵様。
一番奥(左寄り)の、三体の如来像。
みんな螺髪。