この日の最後に訪ねた場所が児屋根塚(こやねづか)古墳。
茶臼原古墳群の一つで、前回の轟地区の1.7㎞東にあった。
その説明板。全長108mの、堂々とした前方後円墳。築造時期は5世紀前半。
国指定史跡 茶臼原(ちゃうすばる)古墳群
茶臼原古墳群は、九州山地が南東に岬状に延びた標高130m程の茶臼原台地上に分布し、南側眼下には穂北平野が広がり、その北部を一ツ瀬川が東流し、周辺の水田地帯を潤しています。そして、この茶臼原台地の南側及び西側斜面には横穴式石室を有する国指定・千畑古墳(昭和9年指定)をはじめ、千畑・上江・野竹横穴墓など約50基の横穴墓が群在し、さらに、一ツ瀬川を隔てた対岸台地上には特別史跡・西都原古墳群を眺望することができます。
茶臼原古墳群は、3つのグループ(春日地区9基、轟地区9基、上野地区37基)に分かれて分布し、前方後円墳3基、円墳52基で構成されています。
児屋根塚古墳(1号墳)は、楯型の周堀を有する前方後円墳で、昭和61年に実施した現状変更の際、四獣鏡をはじめ蛇行剣・鉄剣・玉類などが出土しました。
中でも四獣鏡は、中国製の魏晋鏡といわれる白銅鏡で、極めて精巧に鋳造されています。内区には紐座(ちゅうざ)を中心に4個の乳(にゅう)を配し、その間に青竜と白虎を相対する形で2匹ずつ半肉彫りに表現しています。そして、外周の銘帯には「青蓋作竟宜孫東王公西王母青竜在左右虎在右宜孫子兮」の24字が鋳刻され、この鏡を持つと子孫に至るまで繁栄するとの内容が記されています。
この児屋根塚古墳の築造年代は、出土遺物や墳丘形態などから5世紀前半に位置づけられます。
上野地区の前方後円墳(23号墳、24号墳)は古式の柄鏡式古墳で、児屋根塚古墳より古いと思われますが、その他の円墳については未調査のため詳細については不明です。児屋根塚古墳(茶臼原1号墳)
墳長108m
後円部径65m・後円部高さ7.6m
前方部幅61m・前方部高さ7.3m平成18年3月 西都市教育委員会
グーグルアースで見ると、道路が後円部をぎりぎりよけているのが分かる。削られないでよかった。
道路側から見上げる後円部。
後円部の斜面。三段築成のようだった。
後円部と、右奥に前方部。
後円部に上がらせていただいて、北側の風景を。
そこから前方部側を。雄大な墳丘。
畑の黒土が露出している時期なので、裾周りの形がよくわかった。
左右のくびれ部に造り出しが観察できる。
前方部の先には陪塚も。
前方部の先をパノラマで。 前方部両端が弓なりに写っているが実際は直線。
前方部から後円部。
前方部左裾に降りて。左奥が後円部。
振り返った陪塚は、浮島のよう。
前方部右裾から。
後円部北東側の道路脇から。
側道に入って横から。左が前方部、右が後円部。
この時点で夕方17時を回り、この日の墳行はここで終了。
8㎞東の高鍋に宿(HOTEL AZ 宮崎高鍋店) に向かい、濡れそぼった靴を脱いで風呂に入って一息ついてから夕食としました。
高鍋町には美味しい餃子店があると、つい最近のTV番組で知ったので、次の機会には訪ねたいと思います。