墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

冨波古墳(国史跡・大岩山古墳群) 滋賀県野洲市冨波

大岩山古墳群に含まれる冨波(とば)古墳は同古墳群中で最も古い、古墳時代前期に築造された前方後方墳。

最も新しい宮山2号墳の北西1.4㎞ほどの、丘を降りた平地にあった。

 

昭和57年(1982)の発掘調査で”発見”された古墳で、それまでに墳丘は削平されて一帯は水田となっていたとのこと。

現在は、墳丘があった位置を数十センチ盛土し周溝も示して、かつての様子が想像できるようになっている。

 

現地説明板、その1。

国指定史跡 大岩山古墳群
冨波(とば)古墳
大岩山丘陵から冨波の平野部には、3世紀後半から7世紀初めにかけての首長の古墳が連綿と築かれています。
円山古墳と甲山古墳は昭和16年(1941)に国の史跡に指定されましたが、昭和60年(1985)2月に周辺の6基の古墳が追加指定され、名称も大岩山古墳群と改められました。
その結果、現在は以下の8基の古墳が大岩山古墳群として指定されています。
・前期:冨波古墳(全長約42m) 古冨波山古墳(全長約30m)
・中期:大塚山古墳(全長約65m) 亀塚古墳(全長約35m)
・後期:天王山古墳(全長約50m) 円山古墳(全長約28m) 甲山古墳(全長約30m) 宮山2号墳(全長約15m)
冨波古墳は、昭和57年(1982)に実施された発掘調査で初めて発見されましたが、墳丘はすでに削平されていました。
保存整備事業は、文化庁の補助事業として実施しました。全体を盛土で保存したのち、検出した墳丘を復元しています。
平成18年(2006)11月 野洲市教育委員会

 

現地説明板、その2。

こちらには発掘調査時点の空撮や、周溝から出土した土器( 近江地域の特色をもつ古墳時代初頭頃の甕や、東海地域に特徴的な丹塗り壺の破片)の写真も。

冨波古墳(とばこふん)
野洲市冨波字亀塚甲1448番地1他
冨波古墳は、大岩山丘陵の北西に広がる扇状地(標高約93m)に築造されており、周辺には大岩山古墳群8基のうちの古冨波山古墳や亀塚古墳が所在しています。
墳丘はすでに削平され、一帯は水田となっていたため、昭和57年(1982)の発掘調査で初めて発見されました。
前方後方形の墳丘部は全長約42m、周濠を含めると約52mほどの規模になりますが、墳丘の高さや埋葬施設については明らかではありません。墳丘は前方部の長さ約20m、後方部の長さ約22mで長軸線を基準とする左右対称形であるのに対して、4.5m~7mの幅で巡る周濠は長軸線の左右でその形状が異なっています。周濠内では近江地域の特色をもつ古墳時代初頭頃の甕や、東海地域に特徴的な丹塗り壺の破片が見つかっています。
また、南東側の隅では古墳との関連性が想定される円形周溝墓が確認されています。
冨波古墳は、大岩山古墳群の中で最古に位置付けられる一方、出現期の古墳であるため、弥生時代の周溝墓から古墳への移り変わりを考えるうえでたいへん重要な古墳といえるでしょう。
平成18年(2006)11月 野洲市教育委員会

 

前方部左裾側から。

 

左が前方部、中央がくびれ部、右が後方部。

 

前方部端から後方部を。

 

後方部端から前方部を。

 

”だだっ広い”印象だが、斜度をつけて盛土していくと上面は狭くなるはず。

 

周溝を挟んで後方部先から。

 

後方部の角から奥へ前方部。

 

2019年11月訪問