墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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唐人塚古墳・賞田廃寺跡 岡山県岡山市中区賞田

前回の沢田大塚古墳からは、平野部をほぼ北へ3.5㎞に行った山裾にある唐人塚(かろうとづか)を目指した。

 

山を目指して行くと、駐車場の整備された開けた場所に出た。国史跡の賞田廃寺跡。

 

寺が造営された7世紀中頃はすでに飛鳥時代だが、古墳時代終末期とも呼ばれ、古墳の造営が続いていた。

史跡 賞田廃寺跡
賞田廃寺は岡山県で最古の古代寺院の一つです。地名をとって賞田廃寺と呼んでいます。7世紀中頃、在地豪族の上道臣(かみつみちのおみ)により造営されたと考えられています。おなじ上道臣の墓といわれる唐人塚古墳が西の尾根の反対側に造られています。
創建時は出土した瓦の量から小さな建物と考えられます。7世紀後半に金堂が、8世紀中頃から東塔と西塔が建てられて、東塔と金堂が接近した変則的な双塔式伽藍として整備されました。東塔と西塔には凝灰岩の切石を使用した壇正積(だんじょうづみ)基壇が築かれています。これは宮殿や畿内の有力寺院に採用される格式の高いものです。地方寺院ではきわまて珍しく、寺が大変栄えていたことがわかります。高くそびえる二つの塔は朱色に彩られ、遠く道行く人々の目をも引き付けたことでしょう。
金堂跡の整備にあたり、もとは賞田廃寺から移された礎石を脇田山安養寺からご提供頂きました。安養寺は報恩大師開基とも伝えられる備前四十八ヵ寺の一つです。礎石は明治18年に本堂が焼失したあとも、立て直された本堂前で大切に守られてきたものです。
指定年月日:昭和47円(1972)3月16日 指定面積:19,934.77㎡
平成22年3月 岡山市教育委員会

 

ゆるやかな斜面の気持ちのよい広場の奥には伽藍の基壇が見えたが、時間の都合で遠くからの見学のみで。

 

車を置いて、広場西の小尾根を回り込む車道を進んでいくと標柱が。

 

唐人塚古墳の標柱だった。

 

標柱前から南の眺め。奥が操山古墳群のある丘陵。

 

標柱のすぐ先で茂み中に開口部が見えた。

 

南側に回るとしっかり開口していた。

 

石棺が残っている。 

 

蓋は失われているが、棺身は形もしっかりと。

 

中には水が溜まっていた。千数百年が経っても水を漏らさぬ堅牢さ。

 

斜め上から。

 

しゃがんだ姿勢からフラッシュで。

 

巨石を2段積み上げた側壁。

 

奥壁前から開口部。

 

フラッシュで。両袖式の石組みがしっかりと残っている。

 

立った姿勢から。

 

石棺内をこわごわと。天井から水が垂れるときもあるのでしょう。

 

石室前から外の方向を。

 

岡山市のサイトに解説によると、石室全長は8.9m、玄室長5.1m・幅2.2~2.9m、羨道長3.7m・幅2.9mで、元の墳形は後世の改変により不明。

吉備三大巨石墳と同様に巨石を用いた数少ない古墳だが、中でも「石材は最も整美」で、県下の巨石墳のなかでは最後に造られたと考えられているとのこと。

石棺の身は長さ225cm・幅120cmで、兵庫県産の竜山石が使われ、岡山県下での竜山石石棺では最大となるそう。
被葬者は古代このあたりを拠点としていた有力豪族・上道氏の古墳と考えられ、賞田廃寺の建立へと続くのだろう、と語られている。

http://www.city.okayama.jp/museum/kofun3/02.html

 

車に戻る際に、道沿いの看板に目が留まった。

サギやカワウに対して、魚を獲るなと訴えている。

 

鳥が入れないように糸も。

 

その先に「淡水魚 保護宣言の町」の脇に、人間相手の注意書きが。ここは天然記念物アユモドキが棲息する「最後の聖域」なので採ってはいけない旨が書かれていた。