墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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秋和大蔵京古墳 長野県上田市秋和

2018年12月10日、JR東日本・大人の休日倶楽部パス(連続する4日間乗り放題)の4日目に、上田市へ日帰り墳行をしました。

1万5千円のパスですが、1日目に北上往復(東北新幹線)で2万8千円、2日目に酒田へ行って1万3千円(上越新幹線)、3日目は新庄経由で帰って1万3千円(山形新幹線)、4日目は上田往復で1万3千円(北陸新幹線)で6万7千円分(ほぼ)を活用させていただきました。

 

上田市を選んだのは、こちらの本の表紙写真の古墳を訪ねたかったので。

千曲川古墳散歩: 古墳文化の伝播をたどる

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この日の朝は東京発7時台の新幹線に乗り、上田駅前でレンタカーを借りた。

まずは上田盆地の北西側にある秋和大蔵京(あきわおおくらきょう)古墳へ。

 

新幹線の高架に沿って進み、上田バイパスで右折、左の山裾に豊秋霧原埜神社への石段がある。

 

石段上からは上田の街を見渡せる。 

 

山の斜面が緩やかになったテラス状の場所に社殿がある。

 

拝殿裏の本殿は斜面の上。

 

その社殿の西側に墳丘が。 

 

現地説明板。秋和大蔵京古墳は一辺33m前後の方墳だった。

市指定記念物(史跡)
文化財保護条例第五条の規定により左記の通り指定する。
種別:記念物(史跡)
名称:大蔵京古墳
所在地:上田市大字秋和字大蔵京1391番地
指定年月日:昭和44年5月9日
この古墳は墳丘の頂部と基底部が四角形をしている「方墳」である。
墳丘の各辺がほぼ正確に東西南北の方向に一致している。北東から南西方向にある山麓斜面の自然地形を利用するとともに、土を盛り上げて、計画的に築造したものを考えられる。
墳頂部は原形がよく残り、一辺約8mの方形平面となっている。
基底部は西側の保存がもっともよく、北東から南東側にかけては、後世の手入れにより変形している。墳丘全体の保存は比較的良好である。その規模はつぎの通りである。(推定)東辺32m、西辺34m、南辺35m、北辺33.5m、高さ5mから8mである。
周湟、葺石などは確認できない。墳丘の状態、出土品から4世紀末~5世紀初頭に築造されたと推定できる。東信地方最古の「古墳」であり、長野県における最古の「方墳」と云われている。
保存上の注意
・墳丘の崩壊を防ぐため、みだりに墳丘上にのぼることを禁ずる
・墳丘の雑木・潅木をかり払い古墳の保護を計る
・許可なく現状変更を禁ずる
昭和61年10月 上田市教育委員会

 

墳頂の隅を入れて。

 

その隅(方形の南東側の角)を墳頂から。

 

南西側の角。

 

墳頂には砲弾形の日露戦役記念碑が立っていた。

 

東を向くと神社。

 

後で調べると「上田市文化財マップ」のサイトにも詳しい解説があり、実測図や、墳丘から採集された土師器片の図も掲載されていた。

大型の壷の一部とみられる有段口縁の土師器片は、表面の整形方法や赤い彩色があることなどから4世紀終末~5世紀前半頃のものと推定され、この古墳が上田盆地で最も古いことを示していると考えられるそうだ。

大蔵京古墳墳丘実測図と出土有段口縁壷形土器
出展:常木晃・望月保宏「上田市秋和八幡大蔵京古墳の実測調査」『信濃』38―4(1986)より

http://museum.umic.jp/map/document/dot43.html

 

墳丘から、南東側の眺め。

 

南側をパノラマで。現状は木々で遮られているが、盆地を一望できる好立地だった。