国史跡・大庭鶏塚古墳は、ガイダンス施設山代の郷の130mほど西のバス通りに面した立地。ここも山代方墳と同様に、出雲地方最大級の方墳です。
墳丘の全体像を愛でるのには、大庭町鼻曲のバス停待合所がちょうどよいです。
北東裾にも円形ベンチがあります。
南と西の2か所に造り出しあり。
国指定史跡 大庭鶏塚
大正13年12月9日指定
この古墳は、南から延びる台地の先端を切り崩して墓域を区画して築かれた出雲地方最大級の方墳である。
一辺は約42m、高さは約10mを測る。
二段築成で、各段の斜面には石垣状の葺石が認められ、墳丘の西辺と南辺に造出部を設けている。
西側には濠が確認されている。これまでの出土品は、円筒埴輪片、須恵器(器台・甕)が知られており、その年代観からおよそ古墳時代後期前半頃(6世紀中葉)に築かれたものと考えられる。
付近には山代二子塚(全長94mの前方後方墳)や、山代方墳(一辺45mの方墳)など県内A級の規模と内容を有する古墳があり、本古墳は大庭地区はもとより広く周辺一帯を掌握していた大豪族の長のお墓ではなかったかと推測される。
平成9年3月 松江市教育委員会
山代二子塚古墳での解説には一辺45mとの記載。
大庭鶏塚古墳
山代二子塚古墳から西に100mほど行ったところにある古墳です。
古墳は一辺が45mの規模を持つ大形の方墳で、大庭・山代の王墓としては最も古い古墳と考えられます。
この古墳には正月にあると金の鶏が鳴き、それを聞いた人は幸せになれるという金鶏伝説が伝わっています。
金鶏伝説があるということはそのような埴輪もあったのでしょうかね。
墳頂へは階段がつきます。一段上がったテラスから。
広い墳頂。
墳頂の木には、竹で鳥居のようなものが組まれていました。
墳頂から南側の造り出しを。
裾に降りて東側から。
南東の角から。
さらに引いた位置で。
北側の裾。直線が方墳らしさを主張している感じがしました。
もうひとつの造り出しがある西側は撮りそびれ。