墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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聖塚古墳 京都府綾部市多田町取畦

前回の菖蒲塚古墳の150m程南西には、聖塚古墳が同じ向きで並んでいます。

こちらのほうが、一辺が倍近く大きいサイズ。

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県道沿いに説明板があります。菖蒲塚に続いての築造と考えられるとのこと。親子だったのでしょうか。

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史跡 聖塚・菖蒲塚古墳
平成4年5月6日 文部省指定
形状:方墳(南側に造り出しを付設)
規模:聖塚古墳 一辺54m
   菖蒲塚古墳 一辺30m
時期:古墳時代中期前半(5世紀前半)
史跡聖塚・菖蒲塚古墳は、由良川の支流八田川が形成しる吉美盆地に位置する二基の方墳である。両古墳とも築造当時の形状をよく残し、古墳時代中期の大型方墳として古くから注目されてきたものである。
昭和58年度に実施された墳丘調査により、両古墳とも、段築成され、葺石・埴輪列の外表施設を有すること、また、聖塚には幅約12m、菖蒲塚には幅6mの周濠がめぐることも判明した。さらに両古墳とも墳丘南側に造り出しが付いていることが確認され、とくに菖蒲塚古墳では、2段に突出する特殊な造り出しの形態であった。
聖塚・菖蒲塚の二古墳は、畿内的な古墳の諸要素を有しながら、墳形としては従来の方形を採用している点が大きな特徴である。特に聖塚古墳にあたっては、方墳としては全国的にみても最大規模を誇り、由良川中流域にあって古墳時代中期前半の核となる古墳である。
かつて当地に、由良川中流域を治める菖蒲塚・聖塚の二代の首長がいたことを物語っている。
平成5年3月 綾部市教育委員会

 

説明板の航空写真では周濠の様子もわかります。

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墳丘の形がよくわかります。

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きりっとした直線が気持ちいいです。

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隅の部分は若干の崩れが。

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墳丘に上がらせていただきました。広い墳頂です。

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墳頂から北西方向。

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南側の角。

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東側の角から北東側の辺を。

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南東側の辺。

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南の角を引いた位置から広角で。

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さらに引いて道路から。

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検索したら京都新聞のサイトに、詳しい情報が載ってます(2018年12月の記事。航空写真も)

遺跡編(41)聖塚古墳・菖蒲塚古墳(綾部市) 田園に今も並ぶ夫婦塚|文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞

上記には、聖塚古墳が明治24年(1891)に地元の人々によって墳頂部が掘り起こされており、当時の様子を後に聞き取り調査をした梅原末治氏の記録によれば埋葬施設は竪穴式石室と推定され、木棺を覆っていたとみられる粘土塊(朱が付着)や、鏡・勾玉・ガラス玉などの玉類、甲冑や刀剣などの武器・武具類などの副葬品も出土したそうです。

周辺の水田は地元の協力のもと、ほ場整備が実施されずに保存されたとの記載も。

素晴らしいです。