墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

天乞山古墳・木村古墳群(雪野山と蒲生野の古墳を巡る旅・その4) 滋賀県東近江市川合町

前回のつづき。

ツアー一行は昼食後、雪野山古墳から2kmほど東、名神高速沿いにある木村古墳群へ向かった。 

 

天乞山(あまごいやま)古墳は、ぱっと見で前方後方墳と思いきや、造り出しの付いた方墳だった。

 

天地(左右?)2ヶ所に造り出しという大変レアな形。グーグルアースでよくわかる。

 

大きさにおいて一辺65mは方墳では全国4位の規模になるそうだ。 

天乞山古墳(あまごいやまこふん)
天乞山古墳は木村古墳群のうち、最も東に位置する古墳です。一辺約65mの方墳で、南北両側に造り出しが付設された特異な形状のものです。
この古墳は、滋賀県の方墳の中では最大であり、全国的にみても、奈良県枡山古墳(墳丘長98m・橿原市鳥屋町)、千葉県竜角寺岩屋古墳(墳丘長86m・印旛郡栄町)、大阪府浄元寺山古墳(墳丘長70m・藤井寺市)に次ぐ規模のものです。墳丘に二つの造り出しを持つ方墳の類例は少なく、三重県明合(あけあい)古墳(墳丘長60m・安芸郡安濃町)など数例が知られているにすぎません。
墳丘は上下二段にわかれており、高さは調査前には約9mでしたが、もとは10m以上あったと推定されます。下段の高さは2.4mで、上段の規模は裾部で一辺45m前後、高さは8m近くあったと推測されます。
墳丘の方位は北に対し43度西に傾いています。南側の造り出しは、中央からもやや西にずれて位置し、その大きさは幅8.7m、長さ6.8m、北側に造られています。周濠は四周にめぐらされ、幅20~24m、深さ1mほどです。墳丘の裾まわりには葺石が貼られ、この石は近隣の雪野山あるいは布施山から運ばれたものと推定されます。


埋葬施設は、これまでに幾度も盗掘を受けて壊されており、墳頂部の中央には大きなくぼみがありました。このくぼみには天井石とみられる幅1m、長さ2m以上の大型の石が3個落ち込んでおり、石室の側壁とみられる偏平な割石も多数散乱していました。
このような状態であったため石室の構造規模は明らかではありませんが、調査によって墓壙が確認され、その規模や形態から、東西方向に長軸を持つ長さ6~8mの竪穴式石室があったものと推測されます。
埴輪は造り出し部付近から普通円筒埴輪や朝顔型円筒埴輪などが出土しており、この部分を中心に立てられていたとみられます。造られた時期は、出土した埴輪から5世紀前半に推定され、この古墳群中で最初に築かれた古墳と考えられます。

 

備前の写真も。

 

木村古墳群全体の図。削平された墳丘も記されている。

これらの中で、天乞山古墳は出土した埴輪から5世紀前半に推定され、群中で最初に築かれた古墳と考えられるそうだ。

 

いざ墳頂へ。わくわくする瞬間。

 

墳頂からは、雪野山(中央)と、その手前の久保田山古墳がとてもよく見えた。

 

パノラマで。方向は東。

 

南方向も。この先には甲賀市が、さらに先には三重県伊賀市がある。

 

 墳頂には復元された竪穴式石室も。

 

天井石の規模から石室全長が推測されたとのこと。

埋葬施設
天乞山古墳の墳頂部は、調査前より中央が大きくくぼみ、天井石とみられる偏平な大型の石が3個落ちていたほか、石室の側壁とみられる偏平な石材が散乱していました。調査の結果、墓壙の痕跡は確認されたが、石室は完全に壊されており、詳しい構造や規模やわかりませんでした。しかし、掘られた墓壙が、長さ9.5m・幅5.5mの規模であったことと天井石の形からみて、長さ6m~8mの長大な竪穴式石室の埋葬施設があったと推測されます。
この竪穴式石室は、調査によって知りえた資料から新たに復元制作したものです。

副葬品
この古墳からは副葬品が全く見つかっていません。
古墳時代の首長を埋葬した棺の内外には、生前に使用したものなど多数の品々が副葬品としてそえられています。
この古墳が築かれた時期には、鏡や玉類・武具・馬具などが各地で見つかっています。それらの質と量は古墳に葬られた首長の力を反映し、また、大和王権との関わりを物語っています。

 

北西側の造り出し。 

 

逆サイド、南東側の造り出しは少し小さい。

 

ちょっと先にテラスに降りて単独行動。北西側造り出しへ。

 

その解説。

造り出し
5世紀の古墳には造り出しと呼ぶテラス状の施設がしばしば設けられています。前方後円墳の場合は、くびれ部の片側あるいは両側にとりつけられ、特別な埴輪が並べられたり、たくさんの土器が出土したりすることから、祭祀をおこなった祭場であったと考えられています。
天乞山古墳・久保田山古墳にはいずれも二つの造り出しが設けられています。このように円墳・方墳に造り出しが複数設けられているものはごくまれです。造り出し上半部が壊されていたためどのように利用されていたかわかりませんが、南北の造り出しに差があるので、内容の違う祭祀がおこなわれたものと考えられます。

 

最初の解説板によれば、円筒埴輪や朝顔型円筒埴輪などの出土状況から、当古墳の埴輪はこの造り出し部分を中心に立っていたと思われるとのこと。

 

振り返って見上げる墳丘。 

 

北側隅の裾から。

 

東側隅の裾から。

 

南東側の造り出しを。引いて撮る余裕は無かった。

 

南側の隅から南東側の辺を。

 

同じ位置から南西側の辺を。

ここでみなさんと合流。 

 

隣の久保田山古墳へ移動して、その墳頂から見た天乞山古墳。

 

【再掲載】雪野山古墳から見えていた天乞山古墳(中央)

(2019年11月)