墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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日本民家園・3 神奈川県川崎市多摩区枡形

前回のつづき。

ここから少し端折ります。

・作田家住宅 主屋:17世紀後期、土間:18世紀後期 千葉県山武郡九十九里町作田 国重文

九十九里浜地引網漁の網元の家。棟を別にする分棟型民家。棟と棟との間には大きな丸太を2つに割って作った雨樋が設けられている。居間の梁は松の曲材をたくみに組み合わせている。(パンフより。以下の引用も)

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・広瀬家住宅(の妻側の土壁) 17世紀末期 山梨県甲州市塩山上萩原 県重文

切妻屋根で軒が低く、壁の多い閉鎖的な甲州民家。土間には鳥居柱と呼ばれる2本の柱が立ち、居間には板床を張らない土座形式が特徴である。

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・太田家住宅(の屋根) 主屋:17世紀後期、土間:18世紀後期 茨城県笠間市片庭 国重文

作田家住宅とは異なった形の分棟型民家。土間部分を釜屋と呼び、ここは馬屋も設けられている。釜屋ではカマドの火を使っての炊事のほかに農作業も行われた。

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・北村家住宅 貞享4年(1687)・墨書 神奈川県秦野市堀山下 国重文

移築解体の際、貞享4年と記された墨書が発見された貴重な民家。正面の格子窓、居間部分の押板や竹すのこ床など古い特色をもつわりには、開放的な民家である。

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・菅原家住宅 18世紀末期 山形県鶴岡市松沢 県重文

出羽三山の麓から移築した妻入り農家。屋根の途中にハッポウと呼ばれる曲線の美しい高窓を有している。豪雪地帯の建物らしく、内部へ直接入らないよう入口にアマヤ(前室)を設けている。

左がハッポウのある側。

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反対側は、陽光を浴びて軒が滝になっていた。

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南側、アマヤのある入り口。屋根のラインがカクカクしていた。

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・工藤家住宅 宝暦年間(1751〜1763)頃 岩手県紫波郡紫波町舟久保 国重文

旧南部領に分布する曲屋(まがりや)。主屋に対して曲がった部分は馬屋となる。床上は上座敷だけが畳敷きで他は全て板の間。天井は全て吹き抜けで、いわば建物全体が1室となる。

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曲がっている茅葺部分を下から撮る。

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馬屋を背にした建物内部。土間が広い。敷地面積は民家園一。

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馬小屋の、竹籠製馬はアート作品のようだった。

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・伊藤家住宅 17世紀末期〜18世紀初期 神奈川県川崎市麻生区金程 国重文

正面の格子窓をシシマドと呼び、狼や猪などの獣の侵入を防ぐためのものだといわれている。居間の竹すのこ床、1間ごとに立つ柱など古い形を持っている。

民家としては神奈川県で最初に重要文化財に指定された物件。この家の保存運動をきっかけに誕生したのが日本民家園だったそうだ。

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・船越の舞台 安政4年(1857)・墨書 三重県志摩市大王町船越 国指定重要有形民俗文化財

志摩半島の漁村にあり、歌舞伎芝居などを演じていた舞台。正面に花道、両袖に出語り、そして直径18尺(5.45m)の回り舞台を備えている。回り舞台を回転させる装置は奈落に配置されている。

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「回り舞台」を備えた歌舞伎舞台。

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地下の奈落も近くで見学できる(石室的わくわく感があった)

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この他にも、清宮家、岩沢家の神奈川県の古民家(どちらも県重文)がありました。

次回「菅の船頭小屋」を紹介します。