墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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日本民家園・2 神奈川県川崎市多摩区枡形

前々回からのつづき。

宿場エリアから少し坂を上がると右手に”大きな”水車小屋があった。

 ・水車小屋 19世紀中期 長野県長野市上ヶ屋 車輪の直径は3.6mある。

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製粉・精米の装置ははずされていたが、木製の歯車は勢い良く回っていた。水力は侮れない。

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 ・佐々木家住宅 1731年(享保16年)築 長野県南佐久郡佐久穂町畑 国指定重要文化財 

千曲川沿いの名主の住宅。降雪量の少ない地方のため、柱や梁は比較的細い材料を使用している。東側の屋根は半切妻、いわゆる「兜造り」の構造となっている。(パンフより)

築年代がわかることとともにオリジナル部材が多く使われていることが重文指定のポイントのようだ。

兜造りの構造により2階に明かりが差し込み、そこで蚕を飼っていた。

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2階へは階段はなく、梯子しかなかった。

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右手が佐々木家住宅、正面が江向家住宅で、左手にも合掌造りの民家が2棟並んでいる。この広場が、民家園の「核心部」のような雰囲気だった。

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・国指定重要文化財 江向家(えむかいけ)住宅 18世紀初期 富山県南砺市上平細島

富山県と岐阜県と境に位置する越中五箇山の合掌造り。豪雪地帯であることから柱や梁の材料が太く、また屋根の勾配が急傾斜である。(パンフより)

屋根の角度は60度なので、伸ばすと正三角形になる。

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屋根は入口付近で人の背丈より低い位置まで来る。それだけ雪深い所にあったということか。

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屋根の裏側も低い位置にあるので良く観察できる。「ねそ」という枝が丈夫なのだそうだ。

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こちらの囲炉裏は豪快なつくり。コチコチになった縄で吊るされた桟状の台の上で、物を乾かしたり燻したりしたみたいだが、暖かい空気を横に広げる効果もある。

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豪華な仏壇は普段はふすまが閉じられ、大事に扱われていたとのことだった。

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・山田家住宅 18世紀初期 富山県南砺市桂 県指定重要文化財

越中五箇山の桂集落から移築した合掌造り。浄土真宗の篤い地方のため、立派な仏壇を持ち、さらに「仏間」をも有する間取りである。

雪囲いが巡らしてあったが、雪の翌朝だったので少し雰囲気が近かった?

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床の位置が高く腰高くらいある。これは、火薬の原料となる塩硝(えんしょう)を床下で作って加賀藩に年貢として納めていたため。幕府の目の届かない人里離れた地で、弾薬をつくっていたということ。

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障子窓の白がアクセントになる妻側。3層でも巨大な木造建築だが、大きなものは5層になるという。

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・野原家住宅 18世紀後期築 富山県南砺市利賀村利賀 県指定重要文化財

越中五箇山の利賀集落から移築した合掌造り。梁には傾斜地で成長した根元の曲がった大木が用いられている。屋根裏の広い空間は養蚕や食料、燃料を蓄える場所であった。

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入母屋風に妻側にも屋根がかかるが、そこに雪が残っていて雰囲気を出していた。

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梁の太さが驚異的。「牛梁」という。

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その太い梁が曲がっているところがまたすごい。「チョウナ梁」と呼ぶ。

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江向家、山田家、野原家のどれも同じ五箇山の合掌造りだが様々な違いがあることが、比べて見て理解できるようになっている。

 

屋内に展示されていた「渡し籠」

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越中五箇山の庄川筋で明治初期まで使用されたもので、谷を渡って行き来できる唯一の交通手段だったそうだ。橋をかけなかったのは政治犯が送られた地であったという理由もあるらしい。

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・山下家住宅  19世紀前期 岐阜県大野郡白川村長瀬

飛騨白川郷の合掌造り。川崎駅前で観光料亭として活用していたものが再移築された。今でも園内のお蕎麦屋さんとして営業していた。

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ここでガイドツアー終了。説明板にないような話も沢山聞けてとても充実したプログラムでした。どうもありがとうございました! 

 

ここから、短いトンネルを抜けて関東の村エリアに移りました。