前々回のつづき。
武蔵府中熊野神社古墳から再び西府駅近くのアンダーバスを南にくぐって崖線際へ。 このあたり新駅が出来てからの新築戸建てが建ち並ぶが、残っている畑地もある。
すぐに府中崖線西府町緑地に出る。
目の前にNECの巨大な工場群があるが、南東方向には多摩川の対岸の丘陵も見えた。中央左の丘陵上には「桜ヶ丘カントリークラブ」のグリーンも。
崖線の上を西に歩く。初めは歩きやすい舗道。
少しいくと、ワイルドな小道になった(地図には出ていない)
すぐに開けたが土の道。左の木々は崖の斜面に生えている。繁っているので展望はない。
下記の説明板もあった。多摩地域に残された貴重な自然林(シラカシ群集)とのこと。
切り通しで通る道を回りこんで、さらに進む。このあたりまで府中市西府町が西に突き出ている。
南方向は斜面の木々がないので見晴らしがよい。下の写真は手振れで少し波打っている。
国立市に入って、わりと大きなマンションが崖線近くに見えてくる。このマンションの位置に谷保東方遺跡(縄文遺跡)が存在した。
谷保東方遺跡は立川段丘上の国立・府中インターから東側一帯に広がる遺跡で、昭和52年(1977)以降の3回の発掘調査で縄文中期末(約4000年前)の敷石住居跡が4軒確認されている。敷石住居中央には石囲炉が設置され、床面から土器を埋設した埋甕(まいよう)や、石棒、三角柱状土製品などが出土している。
檻の中の動物のような説明板。
国立市青柳の緑川東遺跡(立川段丘より一段下位の青柳段丘面)からは2012年7月に縄文時代同時期の大型石棒(約1m)が4本出土しており、「発掘された日本列島2013」でも全国巡回展示された。
多摩川沿いの崖線上には縄文時代から人々が暮らしていた。
さらに崖線上の道は続く。
一旦少し下って、崖下からの道と合流する。後ろを振り返った写真。いい道。
再び崖線上に出ると、下記の説明板があった。
谷保東方遺跡 横穴墓
この横穴墓は昭和51年に行われた道路改良工事の際に発見されたもので、横穴墓としては市内で初めての発見です。
構造は、段丘の斜面を横に掘削して造られており、奥行き3.6m、天井はアーチ型で高さ1.38m、床面には河原石が敷き詰められています。このような造り方から、築造年代は7~8世紀と考えられています。
また、玄室(墓室)からは4体の人骨と、副葬品として鉄製刀子(ナイフ、長さ14cm)一口が発見されました。平成2年3月 国立市教育委員会
周囲にも同様の横穴墓があるかも知れないが、民有地で調査できないそうだ。
現状では、これ単独でポツンとある。中は見られない。
そして少し行くと崖線は国立・府中インターへの大きな切り通しにぶつかり、渡れないので大きく北に迂回した。
巨木のある白山神社が、新しい住宅に囲まれていた。その住宅あった場所にも、発掘調査で古墳の跡が確認されている(6号墳、7号墳)
甲州街道の「国立インター入口」の歩道橋を渡った。この正面、道路案内板の手前あたりに、かつて大きな3号墳(円墳)が存在したが、中央道とこのインターへの接続道をつくる過程で未調査のまま消滅した。1967年(昭和42年)に調布ー八王子間が開通している。
この正面あたり、切り通しで掘り下げられる前の数m高い位置に3号墳があった。
この道はこれまでおそらく何百回と車で通ったはずだが、古墳があった場所だとは知らなかった。
ただの「インターへ続く道」だと思っていたこの道は、今は国道20号(日野バイパス)だと知って驚いた。
「国立インター入口」から八王子市の「高倉町西交差点」までは、甲州街道のままであるものの、2007年から都道256号に変わっていた。
道は生き物(なまもの?)なのだと思った。
つづく。