墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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草刈33号墳(まきぞの自然公園) 千葉県市原市

前回のつづき。

午前に埋文センターで講義を聞いて後にいくつか遺跡を回ったが、最後の場所は草刈33号墳とした。

ちょうど一年前に探訪し、ちはら台公園にある6号墳~13号墳を見学したが、道を間違えて辿り着けなかった古墳。

http://massneko.hatenablog.com/entry/2013/07/22/094232

ほかの番号が気になるところだが、京成ちはら台駅付近から西方にかけての村田川右岸台地上にあった草刈古墳群は、前方後円墳3基、前方後方墳1基、円墳100基以上、方墳33基以上からなる大古墳群だった。

33号墳が残るまきぞの自然公園は牧園小学校の南側にあり、京成ちはら台駅から徒歩20分、車なら蘇我ICから20分弱の距離。

下は小学校に面した側の公園入口の案内板。公園の上側(南側)の輪郭線は台地の端をなぞっている。

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草刈33号墳は公園の東端にある。

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説明板が整備されていた。

「まきぞの自然公園の遺跡 

草刈33号墳

ちはら台にはおよそ180基の古墳があり、前方後円墳、前方後方墳、円墳、方墳によって構成されています。草刈33号墳は3基しかない前方後円墳の1基で全長が約42mあります。墳丘測量と確認調査を行ったところ、墳丘にテラス状の段があり、埴輪が列を成して立てられていることがわかりました。筒状の円筒埴輪のほか馬形埴輪などの形象埴輪も立てられています。ちはら台で埴輪をもつ古墳はこの33号墳に限られ、その特徴から6世紀後半の下総地域の埴輪に似ていることがわかりました。

川焼瓦窯跡

村田川の北岸斜面からは、奈良時代の瓦を焼いた窯跡が5基見つかっています。これらの窯は、有牀(ロストル)式平窯(ゆうしょうしきひらがま)と呼ばれる構造を持ち、単弁二十四葉蓮華文・均整唐草文・重郭文などの文様をもつ瓦が生産されていました。これらの瓦はおもに上総国分寺の創建瓦として供給されていたものと考えられています。また、「川焼(かわやき)」という地名も「瓦焼き」に由来すると言われています。

いずれも、ちはら台の歴史を語る貴重な遺跡として公園内に保存されています。

平成15年3月 協力(財)千葉県文化財センター」

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 説明板の背後を進んだあたりから後円部(のはず)

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実際は足元は深い藪、周囲の樹林が多くて眺望もなかったので、はいらなかった。 

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埼群古墳館さんのサイトでは、墳丘の形がよくわかる。やはり探訪は冬がシーズン。

http://sgkohun.world.coocan.jp/archive/index.php/itihara_kusaka33/ 

 

公園の西端の「川焼不動尊」へと向かう。

途中にこんな看板が。さっき入らなくてよかった。

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崖に沿った小道を歩いていく。距離は短い。

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途中、樹林が開けた場所があり、台地下の村田川が流れる平地が見通せた。

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小道の最後に川焼不動の社があった。

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お参り後、崖下に続く階段を降りた。

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下から振り返ったところ。

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崖下には水が湧き出しており、水神様が祀られていた。

水の周りに濃い藍色のきれいな蝶がいた。

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充実した一日だった。