墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

旧神谷伝兵衛稲毛別荘 千葉県千葉市稲毛区稲毛

稲毛にある旧神谷伝兵衛別荘が9月から修繕工事に入ると聞き、 その前に写しておきたいと思い行ってみた。10年ほど前に訪ねたことがあり瀟洒な洋館に魅了されたが、「記念写真」しか撮っていなかった。

千葉市民ギャラリーと同じ敷地にあり、京成稲毛駅から徒歩8分、国道14号千葉街道沿いで数台停められる駐車場もある。駐車場からは5,6mほどの高低差を階段で登っていく。

 

松の木の間から、アーチのきれいな洋館が出現する。 

 

千葉県の公式サイト・千葉市民ギャラリー・いなげ(旧神谷伝兵衛稲毛別荘)/千葉県によれば、この”別荘”を建てたのは、浅草で「電気ブラン」などの洋酒を普及させ、本格的なフランスワインの醸造技術を導入したことでも知られる、明治・大正時代の実業家・初代神谷伝兵衛(1856~1922)

 

 

開館は9:00~17:15で月曜休館、入場無料。

靴を脱いで上がると目の前が広い洋間になる。

以下は説明板より。

初期の鉄筋コンクリート建築
稲毛別荘建築は、大正6年4月に着手し、大正7年には竣工したと思われるが、設計者等や施工者等の記録が無く、残念ながら特定できない。
洋館の構造は、鉄筋コンクリート造り、半地下、地上2階建で、屋根架構は、キングポストトラス(中央に束のある洋風小屋組)である。
この洋館は、千葉市内に現存する鉄筋コンクリート建築としては最も古く、全国的に見ても初期の建築で、大正12年(1923)の関東大震災による煉瓦建築の崩壊ぶりをみるまで、一般的な建築構造として充分認められていなかった時期に建築されたものとして、建築史のうえからも大変貴重である。

 

建築様式と内部の特徴
建物の外観は、一階ピロティ正面にロマネスク様式に通じる5つの連続アーチがあり、建物全体の外壁を白色磁器質タイルで仕上げ、昭和初期に導入されるモダニズム建築への変化をうかがわせる特徴を持っている。
建物の内部は、一階が本格的な洋間であるのに対し、二階が和室となっている。一階内部の装飾は、玄関天井のシャンデリアの中心飾にぶどうのモチーフを用いたり、広間に設けたマントルピースに絵かきタイルを用いて床を寄木張りとするなど、華やかなあしらいとなっている。階段は、典型的な洋階段と見せながら、一階から二階へ続く壁を緩やかな曲線の白漆喰仕上げとし、途中2箇所花台をあしらうなど、一階洋室と二階和室を結ぶために、意識的にしつらえている。

 

神谷伝兵衛稲毛別荘とリゾート地稲毛
稲毛海岸は、明治21年({1888)千葉県第1号の海水浴場が設けられ、同時に砂丘の松林に観光客用の宿泊施設「海気館」が建てられて、潮干狩りと海水浴などが楽しめるリゾート地として開かれた。
神谷伝兵衛は、大正6年、休養を第一の目的に稲毛別荘の敷地を「海気館」と地続きで日当たりが良く砂浜に近いここ斜面地に求めた。伝兵衛61歳の時である。
当初の別荘建物の構成は、現存している洋館1棟の他に、隣接して和館1棟と付属施設2棟の計4棟からなっていたようである。
初代伝兵衛は、別荘を週末に利用する程度であったと言われ、2代目以降は一年のうち5月につつじ見物、8月に海水浴などの避暑として利用していたと言われている。

 

「絵かきタイル」が嵌められたマントルピース。

 

広く取られた窓から明るい光が差し込む。 寄木の床が美しい。

 

扉を外側から。

 

ベランダは、アーチとタイル床が心地よい空間になっている。かつてはここからも海辺が眺められたはず。

 

上記の反対側。今は市民ギャラリーの建物で塞がれているが、かつてはこの先に和館が続いていた。

 

洋間の前の階段室。

 

この扉は地下へ、かつてのワインセラーに続いているそうだ。

 

階段の傾斜は緩やかだった。

 

カーブの箇所を横から見ると複雑な形をしていた。

 

一階の天井を間近に見ながら上る。

 

二階から振り返ったところ。

 

階段室の天井は幅広の板が嵌められていた。

 

2階の和室(の狭い方)

 

神谷伝兵衛についての説明パネルがあった。 

ハチブドウ酒を売り出す
初代神谷伝兵衛は、安政3年(1856)三河国幡豆(はづ)郡一色村に神谷兵助の6男として生れた。明治元年(1868)12歳の時、父から資金を借り商売で利益をあげ、明治6年(1873)17歳のとき、横浜外国人居留地のフレッレ商会に雇われ洋酒製造法を習得した。
明治10年(1877)山梨に日本最初のワイン醸造会社「大日本山梨葡萄酒会社」を設立し、本格的なぶどう栽培とワイン醸造事業が始まったことに刺激を受け、明治13年(1880)24歳で東京浅草の花川戸町(現・台東区浅草1丁目神谷バーの所在地)で「みかわや」の屋号で先の一杯売を開業し、「蜂印香竄葡萄酒」や「電気ブラン」の名を広める基礎をつくった。以来、大正11年(1922)66歳で他界するまで、フランスを本拠とするワイン製造事業を導入し、本格的な拡充をはかった。

 

聞きなれない「香竄」という言葉には「隠しても隠しきれない豊かなかぐわしい香り」という意味があり、伝兵衛の父・兵助の俳句の雅号でもあったことにちなむそうだ。

(神谷伝兵衛が興した事業はオエノングループとして継続している)

www.oenon.jp

 

広い座敷は床の間も大きかった。こちらは畳みに上がって見学できる。

 

床柱は葡萄の幹。

 

天井のつくりが非常に凝っている。 

 

床の間の脇の付け書院。

 

書院欄間は葡萄が彫り抜かれていた。

 

外側から。 

 

床の間の前から廊下側。幅広の畳の廊下。

 

廊下の天井。

 

角には半円のスペースが飛び出していた。

 

そこを外側から見上げたところ。

 

外壁のタイル。 

 

こちらには東京駅の外壁と同じ「覆輪目地」の技法が用いられているとのことだった。

 

隣に建つ「千葉市民ギャラリー」

 

松の枝越しに神谷別荘の2階屋根。

 

回り込んで別の角度から。

 

修繕(耐震)工事は今年の9月から1年間かかる予定。