墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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東京ガーデンテラス紀尾井町・赤坂プリンス クラシックハウス(旧李王家東京邸) 諏訪坂 東京都千代田区紀尾井町

前回のつづき。 

都道府県会館と東京ガーデンテラス紀尾井町(旧赤坂プリンス)との間の道には「諏訪坂」の表示があった。

 

解説もある。都道府県会館がある場所にかつて旗本・諏訪家の屋敷があった。

この坂を諏訪坂といいます。「新撰東京名所図会」には「北白川宮御門より赤さか門の方へ下る坂を名づく。もと諏訪氏の邸宅ありしを以ってなり」と記されています。道路の向かい都道府県会館の敷地には、江戸時代に旗本諏訪家が長期間屋敷を拝領していました。また、別名を達磨坂ともいいますが、旧北白川宮邸が紀州藩邸であった頃、その表門の柱にダルマに似た木目があったため達磨門とよばれ、その門前を達磨門前、坂の名も達磨坂と呼ばれたためです。
昭和51年3月設置 平成25年3月補修 千代田区教育委員会

 

都道府県会館の北隣に板壁の家屋があった。

 

旧赤坂プリンスは「東京ガーデンテラス紀尾井町」となった。高層ビルは2棟で都道府県会館側は住居棟(レジデンス)になる。

 

その北側には新築のように修繕された旧李王家東京邸があった。それは「赤坂プリンス クラシックハウス」に新装となった「旧グランドプリンスホテル赤坂旧館」でもある。

 

以下は公式サイトより。

赤坂プリンス クラシックハウス | 東京ガーデンテラス紀尾井町 - Tokyo Garden Terrace Kioicho

チューダー様式の洋館は、昭和5年(1930)に竣工。旧宮内省内匠寮の工務課長・北村耕造と技師の権藤要吉らが設計した。

昭和30年(1955)年に赤坂プリンスホテルとして客室35室で開業し、1階をロビーや宴会場、2階は客室として使用したが、昭和58年(1983)にグランドプリンスホテル赤坂新館ができてからは宴会場として2011年のホテル閉館まで使われた(2011年には東京都指定有形文化財に指定された)

 

以前は壁が白かったが、明るい黄土色に塗られている。

上記サイトによれば、「建設当時の詳細な資料などを基に照明器具や外壁などの主要部分を当時の状態に復原」したそうだ。

土台のところを見ると傾斜地に立っていることがわかる。

 

諏訪坂に面した門も建物壁面と同じ仕様。

 

門から見た建物。柵はなく、花壇のところまで近づくことができる。

東を向いているので朝ならこちらに光があたっているはず。

 

案内板の地図。左下が北。

 

曲面の美しい出窓。 

 

中の照明もチラッと見えた。

 

2階のテラスにはパーゴラもあった。

 

2階窓の編みかごのようなバルコニー。

 

花壇を彩っていた花。 

 

その先の三連アーチ。 多分ここが庭に面していたのだろう。

 

2階のピカピカのガラス。

 

三連アーチの左側。こちらの”網かご”は4連だった。

 

東側に廻りこんで。窓やアーチの円形、屋根の三角、四角い窓が美しく配置されている。

 

2年前はホテル跡が更地になり、さらに工事のために位置が動き、弁慶橋からもこの洋館がよく見えていた。

 

こちらのその曳き家の記事が。


今はすっかり元の位置に戻り、来月(7月)の開業に向けて内部でも外(花壇)でも作業中だった。

 

西日があたっていた部分。

かつてここに住まわれていた李王家(王皇族)の人々について興味を持ったが、下記のかたのサイトの解説がわかりやすかった。

「赤坂プリンス クラシックハウス(旧李王家東京邸)」で暮らした李垠と李方子、そして李玖

 

左がホテルやオフィスや店舗が入る紀尾井タワー、右が旧李王家東京邸。

間に遊歩道があったので行ってみた。

つづく。