3回前のつづき、この日(5/6)最後に訪ねた古墳。
綱島(つなしま)駅から北に丘を登った公園内にある。駅前は少し温泉街の雰囲気を残しているように感じた。
綱島公園の入口。
入口手前には綱島稲荷神社が鎮座していた。
公園案内図。古墳の記載はない。
園内の小道を上っていくと左手に墳丘らしき土盛りが見えてきた。
右手には塀越しに遠望が見え始める。中央やや左が武蔵小杉、右が新川崎のビル群。
左手斜面の一角に円筒埴輪がぽつんと置かれていた。
回り込んでいくと古墳の説明版が。
綱島古墳は5世紀後半~末に築造された直径20mの円墳。
市指定史跡 綱島古墳
綱島古墳は、鶴見川北岸の南北に細長く広がる標高30mほどの台地の南端部に位置しています。
古墳は、径約20m、高さ約3mの円墳と考えられるもので、平成元年5月に築造時期、性格、形状などを明らかにする目的で学術発掘調査が行われました。
発掘調査の結果、墳丘の頂部で木棺直葬(墓壙の中に棺を直接埋葬した施設)と考えられる埋葬施設内から鉄刀、刀子、鉄鏃などの副葬品が発見され、また、古墳の周辺からは破砕された状態の須恵器甕や、土師器拑・坏、円筒埴輪などの遺物が出土しました。
これらの出土遺物よりこの古墳は、5世紀後半から末葉に造られたことが明らかになり、鶴見川の流域に現存し、その築造時期を知ることのできる数少ない古墳であることがわかりました。
綱島古墳は、地域の首長の墓を考えられ、古墳文化の展開過程を知る上で貴重な古墳として、平成元年12月25日市史跡に指定され、さらに平成2年度に保存整備が行われました。
平成3年3月 横浜市教育委員会
実測図部分のアップ。
この一帯は戦時中に高射砲陣地として軍に買い取られ、戦後は桃里庵という茶室が造られている。
桃里庵の基礎。墳丘の裾を少し削っている。
墳丘を一周したが全周をコンクリートの柵で囲われていた。
墳丘付近の散歩道。
奥の公園の様子も気になったがかなり歩いたので、この日はここまでとした。