墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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鹿島田神社~新川崎駅~了源寺 夢見ヶ崎・加瀬台古墳群探訪その1 神奈川県川崎市幸区南加瀬

今週のお題「ゴールデンウィーク2016」

5/6の金曜日、休暇をいただいて新川崎の夢見ヶ崎へ古墳見学に出かけた。

はじめに武蔵小杉駅で下車し、バスで川崎市民ミュージアムへ。

常設展といくつかの美術展を見ようと思ったらなんと閉館中。GWで休館日が変わっていた…

 

唖然としていたら川崎行きのバスが発車するところだったのでとりあえず急いで乗った。バスは新川崎へは行かないものの、すぐ隣の鹿島田駅は通るのでそのひとつ手前で降りた(ちなみに武蔵小杉駅の横須賀線ホームから北口までの距離より、鹿島田駅・新川崎駅間の方が短いのでは)

住宅街の細道をスマホを見ながら歩いていくと、「川崎市歴史ガイド」の標識があった。 

鹿島田と鹿島大神

鹿島大神は鎌倉時代の創建で村の鎮守となった。やがて開拓が進み、水田ができると鹿島大神に寄進し、のちに鹿島の水田…、こうして鹿島田の地名が生まれたらしい。

 

標識の後ろには、幼稚園と鹿島田大神社とが仲良く同じ敷地にあった。

 

境内(園庭)には、後ろに”脱出用シューター”がついた旅客機が2機。

 

駅のほうを見ると高層ビルが3棟あった。

 

傾斜路を上がったところに新川崎駅。

 

駅は新鶴見機関区(旧新鶴見操車場)をわたる陸橋上にある。陸橋からは多くの電気機関車が見える(南方向)

 

同じく南方向。線路の分岐が沢山あって楽しい。

 

北方向にも機関車の列。奥は武蔵小杉の高層マンション群。

 

駅前にあった川崎歴史ガイドの案内図。複数の古墳が表示されているが説明文は鉄道系だった。

夢見ヶ崎と新鶴見操車場

JR新川崎駅から南西方向に見える台形状の独立した丘は「夢見ヶ崎」の名で親しまれ、市民の憩いの場となっている。

その麓の鹿島田から小倉にかけて新川崎駅の脇に広がる広大な線路敷の空間はかつて新鶴見操車場であった。

昭和4年に開設し、東日本最大の操車場として京浜工業地帯の原材料、製品輸送を支え、最盛期には一日八千車両の操車が行われた。昭和59年信号場へ機能転換し、操車場は廃止された。

 

夢見ヶ崎の台地上には動物園もあるようだった。

 

陸橋をわたったところから見た夢見ヶ崎。まずは左に道を下った。

 

グーグルマップで見た夢見ヶ崎(加瀬山) 

多摩川と鶴見川のほぼ中間に位置する独立丘。分水嶺にもなっている。

 

以下は川崎市幸区:加瀬山より。

長さ約750m、幅約150m、標高約35mをもつこの丘は、いつからか「加瀬山」 という名称で地元の住民から愛されてきました。かつては東京湾まで一望できたというこの丘は現在、大部分を夢見ヶ崎公園・動物公園が占めており、ほかにい くつかの寺社があります。「加瀬」の由来ははっきりしていません。鎌倉期以降、山城国(今の京都府南部)の加瀬氏が移り住んだ時に、もともと「大倉村」と いう名前だった地域を「加瀬」と名付けたという説や、平安時代に、皇室領である「賀勢庄」が開発され、鎌倉時代にはそこで「加世氏」が活躍したことに由来 しているという説もあります。

 

道沿いにはマンション群。かつては操車場の敷地内だったと思われる。

 

陸橋からの坂を下りたところに夢見ヶ崎動物公園への案内標識があった。

 

標識に従って進むと台地上への階段があった。

 

震災時の避難場所になっているようだが看板も年代物だった。

 

動物園が休みでないことを願いながら石段を登る。

 

石段の上から。北方向の武蔵小杉のビル群までは2.5kmほど。

 

了源寺というお寺があった。

動物園はオープンしていた。年中無休(9時~16時)、入場無料!川崎市:利用案内

つづく。