墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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蟹ヶ谷古墳群 神奈川県川崎市高津区蟹ヶ谷

 2月17日の日曜日、2019年の初墳行として川崎市高津区あたりを巡った。

最初に訪ねたのは蟹ヶ谷古墳群。グーグルマップ上に1・2・3号墳の位置が示されていた。

 

元住吉駅で下車して綱島街道へ出てバスに乗り、井田営業所で降りた。グーグルマップは最寄りのバス停の位置と発車時刻まで示してくれるので大変便利。

古墳群は、操車場の後ろ(南西)の山の上にあるようだ。

 

丘の直前(北東面)には矢上川が流れる。

この川を2kmほど下ると、白山古墳や観音松古墳の跡がある。どちらも全長90m近い前方後円墳だったが昭和になって削平されてしまった。

 

 矢上川を渡って住宅街の坂を上る。なかなかの勾配。

 

上っていると右手に、住宅街の中の不思議な空地。奥が古墳が眠る丘。

 

上りきって振り返って。 

 

丘上にあった井田伊勢台公園。

 

眺めのいい公園だった。正面に武蔵小杉。

 

養護学校で右折して回り込んでいくと緑地への入口があった。すぐ右手に墳丘も。

 

神庭(かにわ)緑地として、2002年に特別緑地保全地区(約23ha)の指定を受けている。案内図では3つの墳丘すべてが「円墳」とあった。

 

蟹ヶ谷古墳群は川崎市が専修大学・日本大学と共同して平成24年から5ヵ年かけて発掘調査を行っている。団長の専修大学・土生田教授と高久教授による調査報告資料(各20頁)が検索するとヒットする。

https://core.ac.uk/download/pdf/71798887.pdf

https://core.ac.uk/download/pdf/83120782.pdf

 

以降の数値は上記の資料から。

 

入ってすぐ右手は3号墳。

 

3号墳は前出の資料(平成24年時の調査)では、現在は南北約9m・東西約11mだが、本来は直径18m前後の円墳であったと推測されるそうだ。

 

その隣の1号墳は、全長27mの前方後円墳。 

平成25~27年度の発掘調査で埴輪が出土しており、その年代から6世紀後半~末頃に、本古墳群中で最初に築造されたと考えられるとのこと。

右が後円部、左が前方部。

 

パノラマで。右が後円部、左が前方部。

 

後円部先端側から。調査では埋葬主体部が既に削り取られていたことが分かっている。

 

その左側にはすぐ崖が迫っていて、木々の先に武蔵小杉方面が見えた。

 

1号墳の前方部あたり。手前には「発掘調査中・立入禁止」のロープが。

 

何かの位置を示すサインが、アート作品に見えた。

 

一番北側の2号墳は直径約13mの円墳だが、これまでの調査で元は18mと推定されている。

 

 

2号墳を北側から。

 

神庭緑地、古墳広場の全景。

検索すると昨年3月3日に開催された現地説明会の資料に行き当たった。

説明会では上の写真の右後ろに伸びる尾根上にある4号墳(須恵器が出土)・5号墳も発掘現場を公開していた。

http://www.city.kawasaki.jp/880/page/0000095787.html

 

広場で咲き始めていた梅。

 

2号墳の先に、崖下への連絡路があった。

 

下りは急ぐと危ないルート。 

 

目の前に矢上川。中央奥は武蔵中原の富士通ビル。

 

金網がないと怖い道。

 

降りきって振り返る。

 

神庭緑地は2ヶ所の入口があった。

 

地元の有志の方々によって、緑地は大事に守られている。

 

活動も盛んのようだ。

 

古墳へは最短の入口だが、初めてだとちょっとわかりにくい。