墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

佐味田狐塚古墳 倉塚古墳 一本松古墳 国史跡・乙女山古墳 @馬見丘陵公園 

前回のつづき。  

ナガレ山古墳(下記の公園の古墳/奈良県公式ホームページにある6番)を堪能させていただいた後、公園の古墳を左回りに8番:佐味田狐塚古墳~3番:倉塚古墳~4番:一本松古墳~2番:乙女山古墳の順で見学した。(7番は前々回の巣山古墳

古墳分布図

 

最初は8番の佐味田狐塚(さみたきつねづか)古墳

5世紀前期、全長86mの帆立貝式古墳。北側から後円部。

 

緩やかな丘の上に造られていて、周濠もある。

 

墳頂への階段を上っていくと…

 

そこには陸橋が。

 

下記の実測図のように後円部を袈裟懸けに切られている。

佐味田狐塚古墳

佐味田狐塚古墳は南北方向の主軸をもつ古墳時代前期の帆立貝形の前方後円墳である。史跡巣山古墳の西北方に位置する。墳丘全長約78m、後円部径約55m、前方部幅約31m、くびれ部幅20m、と復元される。後円部では周濠が確認されている。後円部中央の墓壙は南北約10m、東西約4.5mで、盗掘されていた。盗掘坑内から銅鏡細片1、刀子1、などが出土した。

 

こちらの方のブログによれば、70年代に町道建設が墳丘裾まで進んでから古墳とわかったものの計画変更ができなかったとのこと。

佐味田狐塚古墳 (さみたきつねづか) 大和の古墳探索/ウェブリブログ

 

別の角度から。中央の陸橋が古墳の縦軸に重なる。最初の地図のように、どこを通っても古墳を避けては通れないエリア。丘陵を東西に横断する便利な道路だが…

 

陸橋を渡って前方部の下から。前後から見る限りは堂々とした帆立貝式古墳

このすぐ背後に巣山古墳がある。

 

前方部側からの陸橋入口。

 

後円部の北側はゆるやかに傾斜。

 

そこは梅園になっていた。

 

綺麗な紅梅。

 

ほのかな香りが漂っていた。

 

梅園の先に覆屋があり、中を見たら石棺があった。

 

家形石棺が縦に並んでいた。説明板の写真を見ると発掘時もこの位置関係だったようだ。

 

説明板。

北今市1号墳

北今市1号墳は、香芝市(かしばし)北今市3丁目にあった古墳時代後期の円墳です。墳丘の規模は直径23m・高さ5.6mで、埋葬施設は長さ5.5m・幅1.7m・高さ2.6mの横穴式石室でした。石室には二上山でとれる凝灰岩で作られた家型石棺が2つ納められていました。2つとも、蓋石3枚・側石6枚・底石4枚からなっており、内側の大きさは、奥の棺が長さ185cm・幅64cm・高さ55cm、前の棺が長さ180cm・幅76cm・高さ60cmです。石室内は盗掘であらされていましたが、石棺の中から琥珀・銀・ガラス製の玉や銀製の耳飾が、石棺の周囲から金銅製の刀の柄頭(つかがしら)、鉄製の刀・矛・鏃(やじり)・轡(くつわ)・鞍・鐙(あぶみ)などの馬具、高杯(たかつき)・壺・甕などの土器が残っていました。これらの遺物から、埋葬の時期は6世紀の後半頃と考えられます。

2号墳の石棺がある”墳観橋” は見過ごしてしまった。

 

実物の石棺だが切り出されたばかりのように表面がきれいだった。

 

覆屋の先は、なだらかな丘に空が広がる気持ちの良いエリアだった。

 

その丘が実は古墳

倉塚古墳 全長180m、5世紀前期の前方後円墳

ぱっと見は古墳とはわかりにくい形状。スベリ山の別名の通り、そり遊びで削れてしまった?

以下は現地説明板より。

倉塚古墳(スベリ山古墳

墳丘主軸を東西方向にとり、前方部を東に向けた前方後円墳です。発掘調査されていないため、詳細は不明です。現状で墳丘全長約180m、後円部直径約106m、前方部幅約10mの濠状の窪みがあり、その外側に幅約15mの外堤状地形が残っています。1951年の採土中に北東側外堤の円筒埴輪列の間から、円筒埴輪を棺に使った埋葬施設が発見されました。その埴輪の特徴から、この古墳は西暦400年を前後する時期に造られたと見られます。

 

前方部上から前方部先端方向。厚い雲の下に対岸の山並みがうっすら見える。

 

後円部への階段。

 

後円部墳頂には窪みがあった。

 

後円部墳頂からの東側の眺め。木々を透かしてナガレ山古墳がある(右が後円部)

左の山は二上山

 

上った道を降りてすぐに東側の一本松古墳へまた上る。

隣合う古墳だが向きは90度異なる。

 

一本松古墳は前方部を北北東に向ける。巣山古墳と同じ方向の軸。

一本松古墳 河合町大字佐味田字巣山

墳丘の測量調査により、前方部を北東に向けた全長130mの前方後円墳であることが判明しております。後円部直径は約80m、前方部幅約80mを測ります。2006年に後円部南東隣接地において発掘調査が行われ、周濠の一部と外堤が確認されました。外堤上面では埴輪棺墓と土坑墓がそれぞれ1基検出され、埴輪棺墓に使用された円筒埴輪は4世紀末頃のものと見られます。一本松古墳の年代を示す資料です。なお、この外堤に接して一辺12~14mの方墳(一本松2号墳)も検出されています。

 

こちらも高原状の墳丘。

 

後円部上から振り返って倉塚古墳。左の木々の先が前方部で右の後円部へと180mに渡る大きさ。

一本松古墳は全長130m、5世紀後期の前方後円墳で、倉塚古墳の後に造られている。

 

一本松古墳の後円部から前方部。北北東方向。

 

前方部から後円部。

 

墳丘から降りて、前方部裾から。

 

そのまま公園の池を廻る。池の対岸に一本松古墳

空は半分が晴れだったが、次第に暗い部分が増えつつあった。

 

回っていった先に、国指定史跡・乙女山古墳があった。

全長130mの帆立貝式古墳。5世紀前期。

 

こちらは立派な説明板。

乙女山古墳

乙女山古墳は、後円部に短く低い前方部を付けた典型的な帆立貝式古墳である。帆立貝式古墳とは帆立貝の貝殻に形が良く似ていることから付けられた名前である。

墳丘の周囲に濠がめぐり、南側には外堤を築いている。

1986年、後円部南西側に付く「造り出し部」から円筒埴輪列が見つかり、その内側から家形埴輪、楕円筒形埴輪が出土した。円筒埴輪の一つには土師器や小型丸底壺、土製品が納められていた。

・墳丘規模

全長130m、後円部直径104m、同高さ14.7m

前方部長30m、同幅52m、同高さ2.5m

 

前方部側から古墳を望めるテラスがあるが、ベンチは逆の池の方を向いている。

 

前方部に繁る竹薮。

 

墳丘西側に気持ちの良い散策路があった。

 

散策路からは後円部に設けられた”造り出し”も確認できた。

 

そこから柵の向こうに墳頂へ向う魅力的な道が見えた。

 

帆立貝式古墳では、三吉石塚古墳 が全長45mだったが、乙女山古墳130mはその3倍の規模になる。

東京都大田区野毛大塚古墳 (まだ子どもが墳行につきあってくれていた時代…)も全長82mと大きいが、その1.6倍にもなる。

 

グーグルアースではわかりやすいが、現地ではその墳丘の形はわからなかった。

 

このあとは北に徒歩20分の池部駅へのルートを行こうと思っていたが、間違えて西に行ってしまった。

 

途中にあった「公園館」

古墳関連の展示があって興味を惹かれたが、月曜日だったので休館。

公園館のご利用案内/奈良県公式ホームページ

 

その先の公園中央入口に、運よく五位堂駅行きのバスが停まっていたのでそれに乗った。

運転手さんは朝に五位堂駅から乗ったバスと同じ方。乗客は自分一人だったので、出発までの数分間話し込んでしまった。

つづく。