墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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特別史跡・巣山古墳 奈良県北葛城郡広陵町三吉

前回のつづき。

新木山古墳の周濠沿いの道を北へ向うと、すぐに朱の鳥居があった。

 

讃岐神社。解説板があった。

 

竹取の翁は讃岐の姓で、このあたりが物語の舞台だったようだ。

 

 かぐや姫もこちらでお参りしたかも、と思いつつ参拝。

次の目的地の巣山古墳は神社のすぐ北側にあった。

 

下方左に新木山古墳。前方部の横の道を北上した突き当たりが讃岐神社で、その右上に巣山古墳がある。

 

国指定特別史跡・巣山古墳(すやまこふん)は、4世紀末~5世紀初に築造された、全長200m超の前方後古墳。馬見古墳群中で最大規模。

 

まず目に入る後円部。

 

全長は巣山古墳 - Wikipediaには204mとあるが、平成12年度から進められている発掘調査で当初の墳丘規模は全長約220mあったことが確認されている。

 

下記が広陵町のサイト 、観光 古墳 | 広陵町にある解説。

周濠内の出島で祭祀を表したと考えられる形象埴輪が確認されている。

馬見丘陵の中央部に位置する北向きの大型前方後円墳で、墳丘全長約220m、後円部直径約130m、高さ約19m、前方部幅約112m、高さ約16.5mの規模があり、左右のくびれ部に造り出しを設ける。

前方部の西側には出島状遺構を確認し、水鳥・蓋(きぬがさ)・盾(たて)・家・囲(かこい)・柵(さく)形埴輪が出土している。埋葬施設は後円部中央に竪穴式石室が2基確認され、前方部にも小石室が造られている。出土遺物は、勾玉(まがだま)、管玉(くだだま)、棗玉(なつめだま)等の玉類と鍬形石(くわがたいし)、車輪石(しゃりんせき)、石釧(いしくしろ)等の石製品、滑石製の刀子(とうす)、斧が知られている。

 

後円部へ渡る堤?

 

パノラマで。右が後円部、左が前方部。

 

”造り出し”の部分。

 

こちらの 観光 巣山古墳概要 | 広陵町には発掘調査の状況などが写真入りで詳しく紹介されている。下記の「大王の墓域が佐紀から河内へ移動する時期に築かれた前方後円墳」という説明が非常に興味深い。

巣山古墳は、大王の墓域が佐紀から河内へ移動する時期に築かれた前方後円墳で、大阪府藤井寺市の津堂城山古墳とほぼ同時期と考えられ、周濠内に島状遺構を設け、水鳥形埴輪を配する点は非常によく似ています。墳丘から渡り土手を設け、島状遺構に蓋、家等の埴輪を置き、王の居館を埴輪によって再現するところは、三重県松阪市宝塚1号墳の埴輪配列にも共通するものと考えられます。島状遺構の埴輪配列は、外堤から臨場感をもって眺められることから、王の威厳を埴輪で表現し、広範に人々に見せる場所であった可能性もあります。

また、前方部に設けられた島状遺構の祭祀は、造出しで行われる祭祀とは異なると考えられ、島状遺構の突出部や立石が三重県上野市城之越遺跡に酷似することから、外堤から途切れることなく湧き出す水を神聖視し、首長が司る水に関わる祭祀を表現しているのかもしれません。大王墓に匹敵する巣山古墳で執行された様々な祭祀は、古墳祭祀を考える上で極めて重要な資料であるといえます。

 

前方部の右の裾。

 

特に柵が無かったのでそのまま入ってしまいましたが、進むに従って整備工事中のような雰囲気になってきたので、立入禁止区域だったかも知れません・・・

周辺整備が終了したら、また来てみたいです。

つづく。