前回のつづき。
夏に訪れた時に西口から入って東口に抜け、肝心な南口側の内部を見逃していたので秋に再訪した。
南口の車寄せ。この翼のような庇(キャノピー)も村野藤吾の設計。
左右それぞれ8本づつの柱で支えられている。
以下はいただいたパンフより。
「村野はこの柱の配置で、庇をできるかぎり軽やかなイメージにしたいと考えていました」
柔らかな雰囲気の先端部分。
玄関接続部分へ続く美しい曲線。
南口玄関のエントランスホール。床も壁も白大理石張り。
左手窓側には、十字型のアクリル製オブジェが並ぶ。保険会社であった時代には、組み込まれた照明が点灯したそうだ。空間全体も教会のような荘厳さがある。
天井の明り取り窓は8ヶ所。モザイク・フレスコ作家の作野旦平(1931~2000)によるもので、四季がテーマになっている。
エントランスホールの最奥、本館入口への袖壁にある、岩田藤七(1893~1980)によるガラスブロック「ファースト・ワルキメデスの幻想」(一対の作品の右部分)
本館へ入るところに受付があり、こちらで下記のパンフレット資料をいただけた。2015年3月発行、A4版16頁もある立派なもの。
このエントリの説明部分はこのパンフの記載に因っている。
受付の先には、美しいらせん階段があった。
「階段の魔術師」といわれた村野の代表作のひとつ。
エントランスホールの立面は3階になるので、4階(役員応接室)と2階(会議室)へと上下をつないでいた。
2階へ降りて振り返ったところ。1段目が浮き上がっているように始まっており「吊り階段」の構造になっている。
手摺りは黒いものが従来のもので、その上に並行するものやポリカーボネート板は改修工事によるもの。
2階から4階までを見上げて。複雑なRが絡み合う。
中央の支柱が階段を吊っている。
4階から見下ろしたところ。何度か上り下りしてしまった。
パンフレットの「らせん階段」の解説ページには下記の「藤吾語録」が記されていた。
気づかぬところのディテールに注意して自分自身のディテールを持つように努力することが神髄だ。
「ディテールについて」『ディテール』1974年4月号
4階の階段ホールを囲んでいた壁。
階段ホールには村野藤吾に関する解説板もあった。
帰り際、再び庇がある場所から。格子を構成するユニット(4つのユニット:下枠・方立て2つ・上枠でI型を構成する)の総数は約8900になるそうだ。
1966年7月竣工時は千代田生命のビルだったが、その前はアメリカンスクールで、さらに前は牧場があったといわれているとのこと。
駒沢通り側には庚申塔が丁重に保護されていた。
花も新しかった。