墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

目黒区総合庁舎(旧千代田生命保険相互会社本社ビル) 外観編 by 村野藤吾 @中目黒

 夏に見て印象に残っていた「村野藤吾の建築」展。

 

著名な作品として 中目黒にある目黒区総合庁舎(旧千代田生命保険相互会社本社ビル)があるが、自分は目黒区役所とは無縁だったので未探訪だった。

展覧会でメインの場所に展示されていた建築模型を見て、現物を見なくてはいけないという気持ちになった。

夏の間に一度訪れたが、内部を見逃してしまい、秋になってから再訪した。

 

まずは夏編。

中目黒駅から目黒銀座という商店街を南西に進むと、大きな建物が現れた。

 

建物の向こう側、駒沢通り側が正面で、こちらは裏側になる。

 

以下は冒頭の展示会の解説から(再掲)

1966年・2003年改修

高度成長期にあり、会社の急激な近代化と機動性をはかるために中央区京橋から大規模移転した生命保険会社のオフィスビル。駒沢通りに面した5000坪の緩やかな傾斜地は、南と東の7mの高低差を活かし、棟ごとの設計が行われた。中央の池を南口玄関棟、本館、クラブ棟(茶室、和室、クラブ室)が囲み、さらに築山もあり変化に富む。この地域が住宅街であったことから、周囲との関係を考慮し、外壁には「跳ね返すのではなく光を吸収する」アルミ鋳物による鉄格子のバルコニーがめぐらせている。壁と壁が出合うところには村野の細心の造形力が発揮され、広場に立つと棟ごとに違う表情が見えてくる。軽快な庇が客を迎える南口玄関棟のホールに入ると、作野丹平のモザイクによるトップライトや岩田藤七のガラスブロックなどが彩りを添え、その奥には「階段の魔術師」と言われた村野の複雑な曲線を描く階段がある。千代田生命が経営破たんの後、2003年に改修工事を経て目黒区総合庁舎となった

 

内部の通路の前には池があり、水面に映った柱列がきれいだった。池の左は茶室。

 

 まずは屋上へ行くエレベータがあったので乗った。外には小さな日本庭園。

 

なんと古墳のような盛り上がりが。気持ちも盛り上がった。

 

目黒十五庭という名の庭園は、村野「藤吾」にちなむ。

 

柵の外側に、もう一段テラス。

 

屋上からさらに3層重なっていた。

 

再び1階に降りて通路の窓から。

 

この外壁処理をアーチと言うならば、何連になるのだろう。

かつてヘンリー・ムーアの彫刻作品が置かれていた中庭は立体駐車場になっている。

 

駐車場の先には築山が残る。

 

まるで円墳のような上り道。

 

築山から見た本館。よく見ると最上部までアルミキャストの格子が続いていた。

 

 屋内にあった庁舎のみどころ解説(撮ったのは再訪時)

目黒区総合庁舎のみどころ

昭和35年、新幹線、高速道路、高層ビルの建設ラッシュといった騒々しい高度成長期の最中に、旧千代田生命本社ビル建設計画が持ち上がりました。村野藤吾は当時既に70歳を超え、芸術院会員として建築界にゆるぎない地位を築いていましたが、郊外の住宅地に宏壮なオフィスビルを建てるという、この新しい試みに大いに意欲を燃やしました。

「オフィスビルであるから窓を大きくとって事務室内に十分な明かりをとりたい。しかし、静かな住宅地の中に、鉄とガラスの光を跳ね返すような冷たい壁は作りたくない。」

この二つの相反する課題を解決するために、村野藤吾は、バルコニーを設けて、その外側を、アルミ合金の鋳物のルーバー(アルミキャスト)で覆うことを考えたのでした。アルミキャストの名前はここで生まれ、これ以降、多くのビルに使われています。しかし、大量生産される材料は画一化された作品になりがちです。村野藤吾は、自由な形が得られるアルミの素材を活かして、巧みな表面処理を施し、「コンクリートのようでいてコンクリートのような重さを感じさせない、アルミでありながら金属の冷たさを感じさせない、むしろ肌触りを感じさせる。それでいて、全体から受ける感じは、重厚さ、深みをも感じさせる。」この不思議な外観をみごと完成させたのです。

「近代産業というものには大量生産はつきものです。しかし、大量生産はえてして人間的なものを失ってしまう。これは近代産業の悲劇です。大量生産の中にもどうしたら人間的なものをとり入れることができるか。それが課題でした。(村野藤吾)」

昭和41年、高度成長期の真っ只中に完成したこのビルが、広い空間に水と緑を配し、人間性尊重の精神で建てられていることに、多くの人の注目が寄せられています。

 

車寄せから。左が本館、右が別館。村野藤吾の意図の通り、無機質ではなく「人間的」な印象を受けた。

 

別館の側壁は凹凸のあるタイルが貼られていた。垂直壁ではなく下は少し膨らんで、暖かい雰囲気になっている。

 

車寄せの外から。

 

この場所には小公園があり、広島市から寄贈された、被爆した広島市旧庁舎の階段の石が「平和の石」として設置されていた。

 

その先には駒沢通りにかかる歩道橋があった。

 

駒沢通り側からの庁舎。

 

立地が斜面なので、周囲を巡ると建物の見え方にも変化があって面白かった。

つづく。