九度山の街を早歩きした後は、紀ノ川を西に20㎞以上下った左岸の、船戸山(ふなとやま)古墳群へ。
南から伸びる丘陵の北東端ですが、その丘陵の西端には岩橋千塚古墳群が展開します。そこまではあと10㎞もなく、だいぶ近づいてきました。
JR和歌山線船戸駅の南にあり、すぐ上流で南からの貴志川と合流した紀ノ川が目の前を流れます。
ピンの右の住宅街から上がります。
北寄りの街路のどん詰まり。坂上にサインが見えていました。
その後ろの階段が。ロープも張られ整備されています。
説明板あり。
和歌山県指定文化財 記念物(史跡)
船戸山古墳群
昭和42年(1967)4月14日指定
平成29年(2017)追加指定・一部解除
船戸山古墳群は、和歌山市上三毛及び岩出市船戸の標高65mの丘陵上、東西約60m、南北約90mの範囲に7基の古墳が密集して確認されており、いずれも6世紀に築造された円墳であるとみられます。現在は1号墳、2号墳、6号墳及び7号墳が残存しています。
これらの古墳群の中には、結晶片岩の割石で構築された横穴式石室や、横穴式石室の中に石棚がある古墳もあり、本古墳が所在する丘陵上の約7km西方に位置する特別史跡岩橋千塚古墳群との関連性が指摘されています。
本古墳群は、和歌山県における古墳文化を考える上で重要な史跡として和歌山県指定文化財(記念物:史跡)に指定されています。
岩出市教育委員会
位置図部分。
見上げた斜面はモコモコしています。
まずは2号墳から。北向きの斜面なので、開口部が丘上側。
2号墳の説明板。
和歌山県指定文化財 記念物(史跡)
船戸山古墳2号墳
2号墳は、丘陵突端部の地形を利用して築成された東西約14m、南北約16m、墳丘高約3mの楕円形の古墳で、南に開口する岩橋型横穴式石室を持ち、基底部は地山より約1mも低い位置にあります。
羨道長3.7m、幅1m、玄室長2.95m、幅1.8m、高さ2.9mで、上下に2枚の石棚が架構され、前面には石梁状の板石が架構されています。
発掘調査により、玄室から玉類、鉄刀、金環、桃の種子、須恵器及び土師器が出土し、6世紀後半の築造と考えられています。
岩出市教育委員会
説明板の写真部分。石梁もある見事な石室です。
2号墳は、鉄柵とブルーシートで保護されていました…
丘上側から。
紀ノ川にかかる岩出橋が見えました。
斜面上すぐ上の7号墳からは次のエントリで。
平家蟹さんや額田大玉さんは整備される前の石室に入られて貴重な画像を撮られています。
こちらのサイトに詳しい解説があります。
船戸山古墳群 〜 交通の要衝へ築かれた墓 | ニュース和歌山
2025年3月上旬訪問