前回の室山古墳からは再び南西に、国道沿いを3㎞進んで八代市の古墳へ。
岡町の集落の中にある谷川第1号古墳です。道路沿いに大きな石室が露出しています。道が細いので、かなり手前に停めました。
大きな石ですが、正面から見ると結構な板状です。これでパタンと倒れないのが不思議なほど。
こちらが説明板。
八代市指定史跡 谷川第一号古墳
昭和40年4月12日指定
八代地方から田浦にかけて「鬼の岩屋」と呼ばれる巨石を使った古墳群が多く見られます。市内には龍峯を北限として、日奈久竹の内まで20基あまりが残っており、類例は八代海周辺に及んでいます。
これらの古墳は、主に長さ2~3m程度の巨石を使ってコの字型に構築した横穴式石室墳です。鬼の岩屋式古墳に使われている石材は石灰岩と安山岩(水俣~長島産)に大別されますが、前者は主に丘陵上で、後者は平野部で使用されており、立地によって使用する石材が異なる点に注目されます。
古墳の多くは墳丘が削平されて石室が露出していますが、本来は周溝を有する直径10m程度の円墳であったと考えられています。鬼の岩屋式古墳の築造年代は、出土した須恵器・馬具等から6世紀後半~7世紀初頭にかけての頃と考えられています。
この谷川第一号古墳は、石室の奥行4.6m、幅2.1m、高さ1.5mで、安山岩が使用されています。楣石(まぐさいし)は失われており、出土遺物や副葬品も不明です。
これより70m程度山側に第2号墳が、第2号墳からさらに50m程度山側に第3号墳があります。
平成22年3月 八代市教育委員会
ぱっと見は車庫のような。
奥壁を正面から。
奥壁を背にして。天井石と側壁の接点がなかなか微妙な。
真横から。
斜め前から。
逆サイドの斜め前から。
その道の60m先に谷川第2号古墳がありますが、集落入口にあったマップに行きたいところが思いのほか沢山あったので、別の機会としました。
古墳群に関しての説明。
龍峯(りゅうほう)の古墳群
八代地方の古墳文化は5世紀後半以降にはじまる。地域別でみると代表的なものは以下である。5世紀初めから6世紀半ばにわたる前方後円墳・円墳などが残る吉野・野津丘陵の野津古墳群。6世紀半ば以降の鬼の岩屋式古墳群、前方後円墳などがある龍峯山麓斜面台地。5世紀半ばから6世紀半ばにわたり、大塚古墳など前方後円墳・円墳、竹原町の小墳丘群、上方町の鬼の岩屋式古墳群などが残る球磨川口北側低地。5世紀の田川内古墳など多数の装飾古墳が残る、日奈久の入江と大鼠蔵山など各小島。
龍峯地区の前方後円墳に門前古墳がある。この古墳から出土した石材が谷川公民館に展示してある。砂岩製で、表面に3個の同心円文様が彫られ、朱が塗られていた。円文様の装飾古墳は有明・八代海周辺にみられ、共通文化圏といえる。
鬼の岩屋式古墳に谷川古墳、行西古墳、如見古墳など古墳として群があり、「八代郡誌」によれば80余基があったという。球磨川口北側低地の上片町、永田町の古墳群も含め、現在20数基が残る。自然石の巨石で、壁を立て天井を覆ったもので、円墳と考えられる。現在はほとんど墳丘を失っている。家族墓として築造された豪族墓と考えられている。
谷川第1号古墳の60m先に、谷川第2号古墳があるのですがスルーしてしまったので、ストリートビューで。
八代市のサイトのよれば、2号墳は奥壁を失っているものの、石室長さ5.75m・幅2.2m・天井高1.7mを測り、1号墳と同様に本来は直径10m程度の円墳であったとみられるそうです。
obitoさんのサイトで、門前2号墳装飾石を含む周辺の古墳を巡られています。