墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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旧寺古墳群 広島県庄原市掛田町

旧寺(ふるでら)古墳群は前回の瓢山古墳の北西2㎞、西城川が庄原盆地を経て北西から谷へ向かうポイントを守るように立地。

 

墳丘のピンの南東側、支流が西城川に合流するところにかかる橋のあたりに古墳への入口があります(車も停められます)

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森の中に階段が整備されています。

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すでに8時近くになってきていましたが、独り言を大きめの声で発しながら登りました。

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説明板が見えてきて一安心。(実は最初に東側の崖沿い坂道からアプローチしてしまい、草に阻まれ撤退していました)

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旧寺古墳群
前方後円墳である第1号古墳を中心に、12基が群をなす5世紀前半の特徴的な古墳である。
なかでも南地に主軸をもつ第1号古墳は、全長61.7m、後円部径39.3m、高さ6.5m、前方部の長さ25.7m、幅28.8m、高さ3mの規模をもち、2段築成の墳丘には葺石、埴輪がめぐらされている。
この古墳は、備北地方最大級(県内第4位)の規模であり、広島県の代表的な前方後円墳であるとともに、備北・庄原地域の特色を示す古墳として極めて貴重である。
昭和59年11月19日 広島県史跡指定

 

庄原市のサイトによれば、1号墳は形態的特徴からみて5世紀後半頃と推定されるそう。
備後北部の山間地帯では三次地域では帆立貝形古墳が多いのに対して、庄原地域では前方後円墳が集中するとありました。

庄原地域の記念物 | 広島県庄原市のホームページへようこそ

 

下記のサイトによれば、1号墳の後円部頂上に竪穴式石室かとみられるものがあり、前方部頂上にもボーリングによると蓋石があたり、竪穴式石室もしくは箱式石棺が推定されるとのこと。

ひろしま文化大百科 - 旧寺古墳群

 

説明板裏の墳丘。

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その先には大きな1号墳が後円部をこちらに向けていました。

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墳丘に上がって振り返って。

小さく見える説明板のすぐこちら側が2号墳。左の小さな膨らみが4号墳か。

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後円部墳頂からは庄原盆地が見渡せます(灌木が高くなっているので夏では無理か)

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前方部へ渡り、後円部を振り返って。

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前方部端から先端側を。すぐ先には3号墳。

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前方部左裾から。

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前方部の先端側裾から。

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その背後の3号墳。

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1号墳を前方部右裾から。

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60m超は迫力があります。

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鞍部のカーブ。

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振り返った山側。

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後円部の裾を回ります。

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葺石のような石が見える膨らみもありました。

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こちらは最初に迷い込んだ丘陵東側の崖沿い。

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そこから東側の様子。西城側から右奥から来て左に流れていきます。

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