この日の最後に訪ねた墳丘は、八代市鼠蔵町(そぞうまち)にある大鼠蔵(おおそぞう)古墳群でした。
球磨川河口にあり、いくつも橋を渡って行くと2つの小山が見えてきました。標高40mほどで、江戸時代まで八代海の小島だったそうです。
左が大鼠蔵で右が小鼠蔵。
まずは大鼠蔵へ。どこから上がるのかわからずに一回りしていまいましたが、南端に階段がありました。
階段のすぐ近くに大木があったので寄ってみます。
樹木名が読みにくいですが、クワ科イチジク属の「アコウ」でした。
根っこが岩を取り込んでいます。
そのすぐ南の球磨川河口。
この中島、頂部に祠があります。マップには「恵比寿金比羅」と。
墳丘の香りがしますね。
さきほどの階段からは、八代海の素晴らしい眺めがありました。
そこからは尾根上を登っていきます。階段を振り返って。
しばらく登っていくと尾張神社が見えてきました。
斜面上側の、青い屋根の下に尾張宮古墳だと思いますが、玉垣の内側はブルーシートで保護されていました。
石室内部は赤く塗られ、円文(えんもん)が3個彫られています
文化財さんぽ⑦大鼠蔵古墳群?かつては八代海に浮かぶ古墳の島? / 文化情報発信サイトTOP / 八代市
熊本県指定
大鼠蔵古墳群
昭和38年1月22日指定
大鼠蔵は標高40mの小山で北隣にある小鼠蔵とともに江戸時代まで八代海の小島であった。楠木山古墳は中央最高部にある円墳で、中に長さ4.5m、幅1.1mの長い竪穴式石室があり、人骨、剣、刀子、鏃、碧玉製紡錘車などが出土したといわれ、八代地方で最も古い様式である。
尾張宮古墳は南の神社診断の下にある円墳で、中に砂岩の割石を小口積みにした横穴式石室があり、南に開口部をもつ。石室に壁にそって低い石障をめぐらし、それを2枚の板石で区切っている。正面の石障には円文が3個彫られている。
この山を囲むように12基の箱式石棺群があったが、一部はすでに失われている。特に東麓1号石棺の西側壁には弓、矢を入れた靭、短甲、太刀、円文(鏡?)が線刻してあり、現在熊本県立美術館に展示されている。
この古墳群は4世紀から6世紀までのものと考えられる。
なお、小鼠蔵にも石室1基と箱式石棺群がある。
熊本県教育委員会(昭和62年3月建)
地図の部分を。北側の麓からは箱式石棺がいくつも出ています。
東麓1号石棺の装飾図。
前日に訪ねた熊本県立装飾古墳館に、そのレプリカがありました。
大鼠蔵古墳石材(5世紀)
大鼠蔵山東麓の古墳に納められていた箱式石棺の一部である。左から半月形の横長い舟のようなものは弓、次は靭で鋭い矢が5本さしてある。その右は紐でつるした鏡(二重円文の内円は鏡の紐を表す)、その右は上体につける鎧で三角形の鉄板を横につないであることを示している。次は革鞘入りの太刀に二条の紐でつるした鏡である。ここに葬られている貴人の副葬品に代えたものであろう。
尾張宮をあとにして、山頂の楠木山古墳を目指します。
尾根道に右手(東側)に、ところどころ「窓」が開いていました。
ビニールハウスが幾重にも連なっていました。
山頂近くに大木が。
その木の後ろに頂上への階段がありました。
頂上にある、楠木山古墳!
覆い屋の下はビニールシートで保護されていました。
東側にはさきほどの大木。
西側にも「窓」があり、八代海が見えました。
大鼠蔵(右)を降りて、小鼠蔵(左)へも向かいましたが、周囲は畑でなかなか近寄れず。
やっと麓に近寄れましたが、道は見当たりませんでした。
八代市のサイトによれば、山頂に竪穴式とみられる石室の1号墳と、その周辺に2基の箱式石棺があり、3号墳は円文をもつ装飾古墳だそうです。
平家蟹さんや筑後国造さん、obitoさんが訪ねられていますが、普通の人が行くのは無理ですね。