可児エリア周辺の古墳を見て回った後は鵜沼駅近くで車を返し、熱田神宮周辺へ電車で向かいました。まず訪ねた先は白鳥古墳(しろとりこふん)
最寄りは市営地下鉄・熱田神宮西駅でしたが、名鉄神宮前駅まで行ってしまい、熱田神宮の北半分を大回りして法持寺の門前に。

門前にあったお寺の解説。

尾張名所図会 白鳥山法持寺(はくちょうざん ほうじじ)
法持寺は本堂、僧堂、塔頭などがあり、石垣や土塀で囲まれ、城のようでした。南は熱田の海原を見下ろし、西は御船蔵などを望むことができ、実に景色のよいところでありました。
<尾張名所図会>江戸時代末期から明治初期にかけて刊行された地誌。尾張国の名勝、史跡、神社仏閣などを絵と平易な文章で説明している。
名古屋市観光文化交流局
境内から墳丘に連絡していないようだったので、ぐるっと周囲を回ることにしました。
墳丘北側の白鳥古墳公園。こちら側が前方後円墳の後円部先端側と思われます。裾に沿っては、石の基壇を持つコンクリ製疑似木柵。

照葉樹林で見えにくいものの、後円部が実感できました。

背後にはベンチやテーブルのある広場。

そのまま墳裾を南へ回り込んでいくと、西側面のくびれ部あたりに門が。門の左右は玉垣です。

その右にあった説明板。(左は「森を守り、子々孫々へ」との掲示)

白鳥(しろとり)古墳(白鳥御陵)
この古墳は6世紀初めごろの築造と推定され、全長約74mの前方後円墳であるが、前方部と後円部の東部分が削り取られて原形が損なわれている。
古くからこの古墳は日本武尊の御陵との説があり、日本武尊が白鳥となって熱田の宮に飛び来り、降り立った地であるところから白鳥御陵と名付けられたといわれる。
名古屋市教育委員会
名古屋市のサイト(史跡散策路紹介)には「古くは日本武尊の墓と伝えられていたが、尾張氏の墓と考えられている」との記載。
柵の向こうには前方部斜面がよく見えました。左が鞍部。

上記の右側、前方部の頂部でしょうか。

門から振り返った西方向。

階段を降りると石碑と解説が。


本居宣長歌碑(白鳥御陵)
あつたなる 白鳥の御陵にもうてて敷しまのやまとを恋しみ
しら鳥のかけりしいましし
跡所(あとどころ)これ白鳥御陵は、日本武尊が伊勢の能褒野で亡くなった後、白鳥となってこの地へ飛来し、降り立ったところと言われる。
宣長はこの伝説を伝え記紀、御陵を訪れた時に詠んだ歌である。
熱田土木事務所
その先の道路(堀川東線)そばから振り返って。

堀川東線の向こうは「堀川」です。

下流(南)方向。右の木立は白鳥庭園。

上流(北)方向。中央奥は名古屋国際会議場。

堀川東線から白鳥古墳の南側の小径に入り(左折し)ます。

マンションの先に、墳丘先端が聳えていました。削ったっぽいですね。

一回りして再び法持寺前に。

先ほどの名古屋市のサイトにはお寺の解説もありました。
曹洞宗、山号は白鳥山(はくちょうざん)。弘法大師が自刻の地蔵菩薩像を本尊として小堂を建立したのに始まるとされている。芭蕉、林桐葉、若山牧水ら文人が句会・歌会を開いた。
2024年12月上旬訪問