三国が丘の横隈山古墳の次は、3.2㎞東の焼ノ峠(やきのとうげ)古墳へ。
目的地に近づくと、畑の中に雄姿が。
細道を進みましたが、墳丘裾に駐車場あり。
真新しい階段がありました。
雨天でしたので慎重に上がりましたが、”新築の木の香り”がしていました。
上がった先には見事な前方後方墳!
国史跡です。3世紀後半に遡る、九州で最大の前方後方墳。
国指定史跡 焼ノ峠古墳
昭和46年度(1971)農地改良事業に伴い発掘調査が行われ、九州最大の全長40mの前方後方墳であることがわかり、昭和50年2月13日に国の史跡指定を受けました。
この古墳は、標高130.6mの城山(じょんやま)から分岐する標高56mの丘陵上にあります。
古墳は3世紀後半(古墳時代前期)のもので、平面形状は撥形に開き、後方部は北側がやや広くなる梯形(ていけい)となります。墳丘は、前方部が一段、後方部が二段で構成され、丘陵の地山を削り出し整形、後方部の二段目に盛土を盛っています。また、前方部西側前面に狭小な造出をもっています。古墳は、周溝まで含めると44.4m、後方部で幅28.3mとなります。死者を埋葬した主体部は確認できませんでした。周溝は、本来全周するものであろうが、狭小な丘陵上に立地するために流出したと思われ、現況では北側と前方部前面と東側の前方部からくびれ部で確認され、土師器の二重口縁壺や広口壺が周溝から出土しました。
この古墳はこの地域の有力な豪族のものです。
文部科学省 筑前町教育委員会 平成20年3月
実測図部分
土器出土状況図
前方部先端側から。
前方部左裾から。
左(西南西)側に傾いた斜面にあって、前方部もそちら側に段築が。
前方部右裾側から。
前方部に上がって後方部方向を広角で。
後方部先端(北北西)方向。
真北方向をズームで。
北西方向の後方部隅。
前方部方向(南南東)を振り返って。
後方部の角と、くびれ部を。
南方向の城山は標高130m。
くびれ部を入れて。
東側のくびれ部。
東側の眺め。古墳がありそうな地形があちこちに。
2024年2月下旬訪問