井ノ浦公園の墳丘の次は、300m程南の横隈山(よこぐまやま)古墳へ。
住宅街の真ん中に残っています。道幅などに余裕が感じられる住宅街でした。
現地説明板。墳長31.6mの前方後円墳です。
横隈山古墳(横隈山古墳公園:小郡市三国が丘7丁目)
横隈山古墳は、昭和48年(1973)に行われた宅地造成の際に発見された前方後円墳です。
横隈山遺跡は当時、市民によって遺跡と自然の保存運動がおこり、現在の横隈山古墳公園と横隈山公園の2か所が保存されました。
横隈山古墳の大きさは、全長31.6m、後円部の直径23.1m、前方部の長さ10.5mほどです。周りの丘よりも高いところに古墳が造られており、遠くからも見ることができます。今から約1550年前の古墳時代の中ごろに造られた、この辺りを治めていた首長のお墓です。古墳には埴輪が並べられ、円筒埴輪だけでなく、家形埴輪も見つかっています。
県立小郡高校の南側の三沢蓬ヶ浦(みさわふつがうら)遺跡の調査では、埴輪を焼いた窯が見つかりました。ここで焼かれた埴輪が約400m東にある横隈山古墳に並べられたと考えられます。
令和2年(2020)3月 小郡市教育委員会 文化財課
防護の行き届いた階段を登ります。
後円部の墳頂に出ました。周囲をぐるりと見渡せる、眺めのよい立地。
まずは前方部がある北北西方向を。中央奥が三国が丘駅。
その右の木立は井ノ浦公園。
右周りで。北東方向。
東方向。
奥は城山(標高130m)だと思います。この北麓(左側)にある焼ノ峠古墳(東南東に3.2㎞)を、このあと訪ねました。
古墳のように見えた木立は、地図を見ると仲哀天皇の伝説が残る横隈隼鷹神社だったようです。その先には宝満川。
南方向。
南西方向。緑の丘陵上には小郡カンツリークラブ。
西方向。右奥は背振山地。
360度回ってもとに戻りました。
前方部に降りて、振り返った後円部。
前方部右裾から。
2024年2月下旬訪問