墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

小平沢古墳 山梨県甲府市下向山町

前回のつづき、この日の最後に訪ねたのは、天神山古墳の麓から徒歩20分の小平沢(こびらさわ)古墳。

 

丘の斜面の農道を右へ左へと上っていく。一般車では困難そうな道幅と傾斜。

 

上るにつれて、甲府盆地の眺めが良くなってくる。

 

丘の上、木立の下に墳丘の影が見えてきて、ほっとひと安心。

 

農道は墳丘脇まで続いていた。

 

標柱などは無いが、見るからに墳丘。

 

墳頂に上がらせていただく。草が繁っていて盆地側の眺望は無かった。

 

振り返っての南西方向。

 

博物館の企画展にあった解説によれば、小平沢古墳は3世紀後半に築造された墳丘長約45mの前方後方墳山梨県内最古の古墳で、県内唯一の前方後方墳
昭和22年(1947)農道工事時に斜縁二神二獣鏡や勾玉、S字甕等が出土。
昭和27年(1952)の主体部調査では石材等が確認されず、粘土槨ないし木棺直葬が想定されているそうで、「でっかい古墳ラッシュの端緒を開く記念碑的な古墳」と表現されていた。

 

ちなみに斜縁二神二獣鏡は、中国華北東部~楽浪郡にかけての地域で3世紀前半ごろの制作が推定される鏡とのこと。

上野の東博には、奈良県の佐味宝塚古墳出土の斜縁二神二獣鏡が展示されている。

 

小平沢古墳の解説はWikipediaにもあり、曽根丘陵の一支丘である米倉山の北斜面・標高320mに立地する米倉山古墳群の一基であること、主軸は南北方向で北面に前方部が位置すること、埴輪の存在は未確認だが周溝が巡らされ墳丘からは礫が出土しており葺石が存在したと考えられていることなども記されていた。

 

後方部墳頂から前方部を確認したかったが、笹が繁っていてわからなかった。

 

上記の方向は北。この先に甲府盆地が拡がるが目視は難しかった。

(なぜかピントが合わなかった)

 

蚊の攻撃が強かったので、すぐに降りて西側から見た墳丘。

 

上記の左側。なんとなく前方部?

 

後方部裾から東側を前方部方向を覗いたが藪だった。

 

後方部裾から東南東方向は見渡せた。

右奥は御坂山地。左の丘陵の上に弥生後期から続く上の平遺跡・周溝墓群が立地する。

右手の向こう側の斜面下・滝戸川のそばに、甲斐天神山古墳がある。

 

雨がまた降り始めたので小走りで来た道を下る。振り返っての小平沢古墳。

 

農道から見えた甲府盆地

 

ズームで。

中央下寄りに、甲斐銚子塚古墳の後円部が写っていたことにあとで気づいた。 

 

(甲斐)銚子塚古墳についての山梨県のサイトに、参考として山梨県内前期古墳の編年(築造順)が記されています。

小平沢古墳(前方後方墳、45m)→ 天神山古墳(前方後円墳、132m)→ 大丸山古墳(前方後円墳、120m)→ 甲斐銚子塚古墳・岡銚子塚古墳(前方後円墳、92m)→ 丸山塚古墳(円墳、72m)の順。

https://www.pref.yamanashi.jp/kouko-hak/standing/choushizukakofun.html

小平沢古墳や上の平方形周溝墓群を入れても直径1㎞の円内に収まってしまうというところがとても不思議に感じます。

いにしえの時代から交通は重要であり、この場所に地の利があったのでしょうね。 

 

斜面の途中に、畑の向こうに墳丘的な高まりがあった。

 

どんどん下っていくと住宅地の間に出た。降りて来た道を振り返って。 

 

上記写真の右側、公民館の前の「クロスポイントシティーなかみち 松本 小平沢古墳」と記された標柱。

 

滝戸川を渡るところで、西方向に南アルプスの稜線が。雨は降っていたが。

 

帰路は市バスで甲府駅へ出て、特急かいじ号を使うことに。

一時間に0~1本のバスを待っているところ。 

 

ズームすると鳳凰三山地蔵岳オベリスクも(右のトラックの上あたり)

 

30分バスに乗って甲府駅手前の車窓。山梨県議会議事堂だそうです。

 

かいじ号に乗って、塩山を過ぎたあたりの車窓。

 

墳丘のようにも見える勝沼ぶどうの丘。

 

大月駅の手前で振り返った車窓。中央奥の頂上に雲をかぶっているのがおそらく滝子山

 

登った時には山容がわからないほど雲がかかっていた。 

 

大月駅で、特急「富士回遊」と連結。新宿駅でつなぎ目を。