墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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吉田温泉神社古墳 栃木県那須郡那珂川町吉田

前回のつづき。

観音堂古墳のさらに北側に吉田温泉神社(よしだゆぜんじんじゃ)古墳がある。 

その間の200mほどにも、いくつか墳丘が残っているはずだが確認できなかった。

 

「那須小川古墳群 2003年」27頁 吉田温泉神社古墳群と那須八幡塚古墳群全体図と地籍図から一部を拡大。ほとんどの墳丘は削平されている。

 

鬱蒼とした参道を少し行くと墳丘(前方部)を基壇とする社殿が。

 

 繁みの中にあった説明板。

吉田温泉神社古墳は全長50m弱の前方後方墳で、4世紀末~5世紀初頭の古墳時代前期の築造と考えられている。

吉田温泉神社古墳
本古墳の後部墳丘は、戦時中に削平を受け、残存する前方部墳頂に温泉神社が祀られている。後部墳丘削平の際に剣・短冊形鉄斧・土師器などが木炭とともに出土したといわれる。このうち短冊形鉄斧と土師器は現存しており、この遺物からこの古墳がかなり古いころの築造であることは明らかである。昭和48年3月の後部墳形の確認調査によって後部墳丘の立上りの平面は、東・北・西側で直線的に延び北西及び北東隅で角形となることが確認され、後部墳形が方形であったことが判明した。また、後部墳丘の南西コーナーでくびれ、それが連続していくことも確認され、温泉神社古墳の原形が南面する「前方後方墳」であることが確定的となった。後方部には明確な周溝は伴わず、墳丘立上りの外側は、幅の広い不規則な土取りの低い面となっている。後方部の幅は約25m弱を測り、これを残存する前方部を含めて計測すると、推定墳丘は50m弱となる。
遺物からみて遅くとも4世紀末から5世紀初頭頃には、築造されていたと推定される。従って、町内にある三つの前方後方墳の中では最も小さく、他の西面する二つの古墳(駒形大塚古墳・那須八幡塚古墳)に比べ、本墳は、南面する古墳であることを考慮すると時代的にも他の二つの古墳よりやや後出するものと推察される。那珂川町教育委員会

 

社殿の裏側は少し高く残っている。

 

ここも東側は切れ落ちている。

 

そのあたりからの北側、4~10号墳があったはずの方向。