墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

津山城(跡) 岡山県津山市山下

前回の、津山市郷土博物館の西隣が津山城への登城ルートだったので、こちらも訪ねてみました。

 

上がった正面の石垣に、まず圧倒されます。

 

津山城跡の説明板。

津山城跡
国指定史跡 (昭和38年9月28日指定) 
津山城は、もと山城のあったこの鶴山の地に森忠政が慶長9年(1604)に起工し、元和2年(1616)の完成まで13年の歳月をかけて築いた輪郭式の平山城です。往時には五層の天守閣がそびえていましたが、この天守閣は弓狭間・鉄砲狭間・石落し等の備えを持ち、唐破風・千鳥破風等の装飾のない実戦的なものでした。 また、本丸・二の丸・三の丸には、備中櫓をはじめ、粟積櫓・月見櫓等数多くの櫓が立ち並び、本丸には70余の部屋からなる御殿と庭園がありました。
この城が築かれた当時は、我が国の築城技術が最盛を迎えた時期にあたり、津山城の縄張りの巧妙さは攻守両面において非常に優れたもので、近世平山城の典型とされています。
明治6年(1873)廃城令によって城郭は公売され、翌7年から8年にかけて天守閣をはじめとする一切の建物が取り壊されましたが、豪壮堅固な石垣は残りました。
その後、明治33年(1900)城跡は鶴山公園として津山町の管理となり、昭和38年に国の史跡に指定されました。
(後略)

 

城を築いた森忠正 公の像。

 

季節ごとに花を楽しめるよう、手入れがされています。

 

グーグルアースでみると、かなり広い敷地が、学校や官公庁関連などの他の用途に転用されずにそのまま残っているように感じます。

 

折り返す石段の脇にも高い石垣。

 

石垣も、墳丘も、誇示するパワーに魅せらます。


石垣と石段の競演。

 

再建された備中櫓。

 

備中櫓は最上部の隅にあります。内部見学可。

 

なぜ「備中」なのかの説明はこちらに。

(書き起こし省略)

 

上記の左の藤棚の下。眺めの良いベンチがありますが柵はロープのみ。

 

「柵の先」を備中櫓から。

 

瓦屋根越しの眺望。

西から東へ流れる吉井川、川に沿って東西に長い津山盆地。

 

天守台跡に登って振り返る備中櫓。

 

津山の中心街が良く望めました。

 

西側の眺め。おそらく中央奥の丘上に、美和山古墳群が立地していると思われます。


北西の麓に目立つ建物があります。

津山文化センターは1965年竣工で設計は川島甲士。

東洋の伝統的木造建築の大きな屋根を支える斗栱(ときょう)をコンクリートで造って取り付け、石垣と呼応するような逆台形の外観としたそうです。

(旧)津山文化センターについて | 公益財団法人津山文化振興財団

 

訪ねる時間的余裕が無かったので、再訪したいと思います。

 

他にも魅力的な建物が多い街でした、津山市街は。

城跡から石段を降りてくるときに気づいた、つやま自然のふしぎ館(津山科学教育博物館)の屋根の波。

 

城跡と宮川を隔てて東に延びる街並み保存地区は、車で通り抜けただけでした。