墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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唐津城 佐賀県唐津市東城内

今回は初めて唐津を訪ねたので、お城へも登ってみました。

 

本丸の丘の麓にあった解説板。

唐津城
唐津城は慶長13年(1608)に完成した平山城です。城を築いた寺沢志摩守広高は豊臣秀吉の側近で、築城には名護屋城の解体資材を用いたといわれています。
城は本丸・二ノ丸・三ノ丸・外曲輪に分かれ、本丸には天守台、二ノ丸には藩主の住居と藩庁があり、三ノ丸にはほとんどの藩士が住み、外曲輪には町人が居住し町奉行所がおかれていました。
城には寺沢氏以後は代々譜代の大久保・松平・土井・水野・小笠原の諸氏が入城しました。寺沢氏の12万3千石からはじまり、廃藩前は6万石でした。明治10年から本丸跡は現在の舞鶴公園として一般に開放され、藩主の住居は高校敷地となっています。
周囲約1㎞、面積4.3ha、海抜43mにそびえる現在の唐津城天守閣は天守台跡に慶長様式で、文化観光施設として昭和41年に完成したものです。天守閣は5層5階、地下1階で博物館、展望所等があり、展望所からは松浦潟の全景が一望におさめられます。また唐津城は別名舞鶴城ともいわれ、観光唐津のシンボルとして皆様に親しまれております。

 

婚礼撮影の方々とすれ違い。

左側は早稲田佐賀中学・高校の校門。

 

ここから右手側にある階段を上がるのですが標高は60m以上。撮影の方々と同様に、この奥にある斜行エレベーターを利用しました。(片道100円、天守観覧料は500円)

 

石垣下から見上げた天守。(エレベーターは石垣上に出ます)

 

石垣の高さに圧倒されました。

 

そして最上階の展望所から唐津の街を。

 

北側に回ると唐津湾が広がります。

右が高島、中央が鳥島、その奥の平な島が神集島、左が大島(地続き)

 

高島から東側。中央奥の糸島までは15㎞位。

 

東の眼下には東唐津の街並み。

右は松浦川でここで曲がって湾に流れます。7㎞上流に久里双水古墳。

 

街並みの先は虹の松原。長さ約4.5km・幅約0.5kmに約100万本のクロマツが群生する国の特別名勝で、初代唐津藩主寺沢広高が防風・防潮のために植林したのがはじまりだそうです。その奥の台形が鏡山。麓に名墳が幾つも!

 

虹の松原の海岸線の先には浜玉町(中央辺り)

 

ズームで。

左の高いピラミダルな山が浮嶽(805m)、その左が十坊山(535m)、中央あたりが城山(377m)で、その麓の玉島川右岸側に谷口古墳があります。