前回の野口王墓からは中尾山古墳へ。
県道209号からは、上記の一本北側の枝道を入ってみました。一旦登って開けた先の丘の頂に中尾山古墳。
直接に丘を登る路は無く、谷戸を東へ大回りします。
中尾山古墳を右手に見ながら徐々に登るこの路は、古代の雰囲気を残しているように感じました。
谷戸の奥から振り返って。右の奥から来て左の奥へ、U字形に辿ります。
中尾山古墳に到着。
解説には横口式石槨の写真も。
中尾山古墳
(前略・中略)
3.まとめ
今回の調査では中尾山古墳が三段築成の八角墳であることが確認され、一段目・二段目については基壇状を呈していることや、三段目は版築のみで整形されていることが明らかとなりました。さらに外周石敷が三重にめぐっていたことも判明するなど、石敷が広範囲にわたって敷設されていたことも確認することができました。特異な構造を呈する八角墳であるとともに、埋葬施設が蔵骨器を納めた横口式石槨であることなどから、中尾山古墳が古墳文化の終焉を解明するための重要な資料となるでしょう。
下記のサイトに詳しい解説が。
中尾山古墳 | 奈良県歴史文化資源データベース | 奈良県歴史文化資源データベース「いかす・なら」
墳丘は版築で築かれた対辺長約19.5m、高さ4m以上を測る三段築成の八角墳。墳丘裾部から外周石敷が三重に巡ります(三重目の対辺長約32.5m以上)
10個の切石で構成された横口式石槨は高さ・幅・奥行が各約90cmで、床面の中央に一辺60cm、深さ1㎝の凹状に削り込みがあり、火葬骨を納めた蔵骨器を安置するための台が設置されていたものと考えられていて、古墳時代以来の伝統的な葬法とは決別し、仏教思想に基づく火葬を導入したことを示しているとのこと。
明日香村のサイトにも。
被葬者は中尾山古墳の立地や年代、火葬墓であることなどから文武天皇檜隈安古上陵の蓋然性が高いと考えられているそうです。
解説にある原形とは、かなり形が変わってしまっている墳丘。
この木製柵の角度は135度っぽいですね。
手前のベース型の石が、石敷き3重目の外周角でしょうか。
回り込むと中央部が凹んだ様子が。
こちらからだと八角墳的?
そこから背面の南側の様子。墳丘は稜線上にあります。
宮内庁から文武天皇陵に治定されている栗原塚穴古墳は中尾山古墳の400mほど南にありますが、その墳丘脇を翌日に走り抜けました。(ハーフマラソンでの18㎞地点)