※当十景は埋立地・浦安市における土盛り等を、想像をたくましくして古墳に見立てて楽しんでいるものです。
今回は全長100m級の浦安市最大の”コフン”です。
久しぶりに中央公園に来て、ちょっと違和感を感じたのは、滑り台が小さくなっていたことによるものでした。
こちらの方のブログで、以前の大きな滑り台の画像を見られます。
滑り台のある丘の頂上部。
その北隣に、さらに高い丘が。
階段で頂上へ。
標高15.4mの頂上からは新浦安のマンション群が遠望できます。
グーグルアースには「浦安富士」
頂上から尾根筋の南東方向。
前方後円墳であったならば、後円部から前方部方向を見ている感じです。
前方部側面から、あずまやのある墳頂を望んでいる雰囲気。
そこから右に目を移すと遊具の乗る前方部、がある気持ち。
その遊具です。暑かったのでお子さんはおらず。
遊具脇から木立の向こうにあずやまを。
グーグルマップ上で測ると、長軸100mほどでした。
南斜面の桜並木は立派です。ここも春は賑わいます。
中央公園の東縁の松並木。
漁場跡の説明板がありました。
漁場跡(中央公園)
今から八百余年前、この地域に初めて人が住み着くようになった頃から、住民は魚貝類を中心とした漁業によって生活をしていたといわれています。浦安の漁場は東京湾の最も奥に位置し、遠浅の海で魚貝類の繁殖に適し、ボラ、スズキ、カレイ、キス、ハゼ、アサリ、ハマグリなどの宝庫で、長い間漁民の生活を支えてきました。
しかし、昭和30年頃より、京葉工業地域の土地造成に伴う海面埋め立てや工業廃水や生活廃水によって、漁業の存続が危ぶまれるようになってきました。特に昭和33年(1958)4月、本州製紙江戸川工場からの廃水により、魚貝類が大量に死滅し、海苔養殖にも大きな被害を及ぼしました。これにより、漁業を続けることが困難になったことから、昭和46年(1971)漁業組合では漁業権を全面放棄し、長年続いた伝統ある漁業に自ら終止符を打ちました。
その後、漁場は住宅地あるいは準工業用地として次々を埋め立てられ、その一部は現在中央公園として姿を変え、市民の憩いの場となています。
平成22年3月 浦安市教育委員会