墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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東求女塚古墳 兵庫県神戸市東灘区住吉宮町

処女塚(おとづか)古墳を見た後は、東に1.5㎞ほどにある東求女塚(ひがしもとめづか)古墳を訪ねました。

六甲アイランド北の東灘区にあり、阪神高速を挟んだ南エリアには白鶴酒造資料館や菊正宗酒造記念館があります。

 

求女塚東公園の中央に、墳丘(の一部)が残っています。

周囲は住宅街で駐車場はありません。

 

円形に残った高まりの周囲は、自然石の石垣で囲まれています。

 

墳頂にも堂々とした石碑。


この墳頂も眺望は特にないですが、春は桜がきれいでしょうね。

 

現地説明板。元は全長80mの前方後円墳だったとのこと。

東求女塚古墳
東求女塚古墳は、御影塚町の処女塚古墳、灘区都通の西求女塚古墳とともに、「葦屋の菟名負処女(うなひおとめ)」をめぐる悲恋伝説ゆかりの塚として古くから有名です。伝説では、菟名負処女をめぐって争った信太壮士(しのだおとこ)の墓だといわれていますが、実際は、このあたりを支配した豪族の墓であろうと考えられます。
現在、墳丘の一部は公園の中に残っていますが、墳丘のほとんどは、土取りによってなくなってしまいました。
昭和57年、遊喜幼稚園の園舎改装工事に伴って行われた発掘調査では、前方部の墳丘の裾部と周濠が発見されました。また、公園整備に伴う調査で後円部の裾部も残っていることがわかりました。 
これらの調査結果から、前方部を北西に向けた全長約80mの前方後円墳で、墳丘の斜面には石が葺かれていたとわかりました。
東求女塚古墳から出土した遺物は、銅鏡、車輪石、剣、玉などで、明治時代の壁土取りの際発見されました。これらの遺物は現在、東京国立博物館に保管されています。
この古墳の造られた年代は出土した遺物から、4世紀後半と考えられます。 
東灘区役所

 

かつては前方部が続いていた北西側。

左(西)は説明にある幼稚園。

 

前方部先端があったと思われる場所から、”後円部”方向を。

 

公園の一画には阪神淡路大震災の慰霊碑が建てられています。

 

兎と鳥の遊具。

2024年6月中旬訪問