前回の五塚原古墳からは、南に500mの元稲荷古墳へ。
緩やかな舌状台地の尾根を下ります。左奥が元稲荷古墳と向日神社がある丘。
西方向は小畑川が流れる広い谷。
向日神社から、桜が帯状に植えられています。
舌状台地先端頂上の元稲荷古墳に到着。
前方部左裾から。左側面で一心不乱にキャッチボールをしてる方々が。
前方部先端側にある説明板。3世紀後半の、墳頂94mの前方後方墳です。
元稲荷古墳
所在地:京都府向日市向日町北山
元稲荷古墳は3世紀後半ごろにつくられた最古の大型前方後方墳で、桂川流域を束ねた王の墓と考えられています。
この古墳は京都盆地が一望できる丘陵の先端部に位置します。墳丘は王の亡骸を埋葬した後方部と祭りの場や葬列の道として使われた前方部からなります。
後方部は三段に築かれ50m四方の正方形に、前方部は二段で側面の形は「ハ」の字形に大きく直線的に広がります。墳丘全体が小畑川から採取した礫を詰め込み、まるで石の山のように築かれています。
亡き王の政治経済的な実力を示す墳丘の規模は長さが94mであり、同じ頃につくられた神戸市西求女塚古墳と双子のように形を大きさを同じくしています。
埋葬施設は後方部中央に竪穴式石室が設けられ、内部空間は板石を積み上げて家形となるようにつくられており、他に例を見ない特徴を有しています。
副葬品は江戸時代の大きな盗掘により、鏡をはじめとする宝器の多くは失われていましたが、刀・剣・槍・鏃などが残され、土師器直口壺も確認されました。
墳頂での祭りには埴輪が使われ、後方部と前方部の中央に壺と器台のセットが並べられ、さらに後方部では讃岐に由来する二重口縁壺もそなえられました。
このように、元稲荷古墳は大王墓級の古墳づくりと共通する設計や技術がみられ、最古の埴輪も備わるなど、亡き王と初期「倭王権」の緊密な関係性をうかがわせます。
平成26年(2014)2月 向日市
写真と地形図部分。
発掘調査された、後方部の竪穴式石室の写真も。
そのときの天井石の一枚は向日市文化資料館に屋外展示されていました。
前方部に上がって後方部方向を。広々しています。
振り返った南方向には向日神社の社務所の屋根が。
前方部上から東方向。左は墳丘上のベンチ。
後方部へ近寄っていきます。
ここ(前方部上)からも竪穴式石室が検出されていて、石室石材が置かれています。
後方部に向かって右下。あずまやの左側がくびれ部です。
くびれ部あたりから見上げた後方部墳頂。結構な高低差。
階段下から振り返った前方部。
階段上から見下ろす前方部。
後方部上の施設は石室保護のものでしょうか。
向日市のサイトによると、「元稲荷」の名は、後方部頂上にかつて向日神社の稲荷社があったことに由来するそうです。。
築造時期は3世紀末との記載。
建物や基壇は社殿の名残りかもですね
円形基壇から北方向。
前方部に戻って右裾から。右奥が後方部。
陪塚のような遊具も。
公園側の出入り口からは遠望が得られました。
ズームで。左の屋根の上に見えるのは京都タワーでしょうか。
2024年4月下旬訪問