前回の中山荘園古墳から東に400mほどに、中山寺古墳(なかやまでらこふん・白鳥塚古墳)があります。中山寺の境内の中心部の立地。
荘厳なお堂が並び立つお寺ですが古墳は大黒堂の脇に、ひっそりと開口していました。
説明板はピカピカですが、昭和49年のものだとすれば築50年!
県指定文化財 中山寺古墳
昭和35年3月31日指定
本墳は南面する両袖式の横穴式石室で、石棺を安置する。玄室は、長さ5.5m、巾2.4m、高さ3mあり、羨道は長さ8.5m、巾約1.2m、高さ約2mで巨石をもって造られている。
石棺は、蓋石に縄掛突起をもち、棺身が刳抜式の家形石棺である。巾1.06m、長さ1.8m、高さ1.2mで、この形式の石棺のなかでは代表的なものといえる。
本墳の建造年代は、6世紀後半頃と考えられ、古墳時代後期に、この西摂地方に勢力をもっていた豪族の墳墓と考えられる。
西摂平野の縁辺に数多い古墳中、後期古墳の著例として貴重な文化遺産である。
昭和49年10月 宝塚市
こちらはお寺が立てたものでしょうか。
石の櫃(からと) 兵庫県指定文化財
中山寺古墳は、寺伝によれば第14代仲哀天皇の后、大仲姫の墳墓とされ、別名「石の櫃」とも称されます。
古墳洞内の大きさは、横幅2.50m、奥行き3.60mです。石窟内には石棺が安置されています。まさしく上代の陵墓制であることは明らかで貴重な史跡といえます。
立ったまま入れる羨道です。これは大きい。
羨道側壁も巨石で組まれていますね。
そして、大きな玄室に圧倒されました。
中央に家形石棺。
フラッシュで。
奥壁に向かって左壁。
柵の石枠が嵌っていますが、袖の存在がわかります。
逆サイドも。
天井石も巨大。
賽銭箱を背にして。
兵庫県立考古博物館のサイトによれば、石棺石材は竜山石。
額田大玉さんのサイトで、手水鉢に転用された石棺があることを知りました。
obitoさんのサイトにも。こちらには付近の中筋山手古墳群なども紹介されています。
今更ながら、「宝塚」の地名は古墳に由来しているのだなあと実感しました。
2024年6月中旬訪問