前回の4号墳から300mほど南東の、畑の中に残る5号墳。
側面はほぼ垂直で土がむき出しになっています。 高さは4mほどでしょうか。
手前は県道。
遠巻きに回り込んだ南側から。墳丘のそばでは農作業中。
風車は音もなく回っていました。
6号墳へ向かっていると左手に要塞のような建物が見えました。
そのときは倉庫かと思っていましたがエントリを書いている今、改めてストリートビューで確認すると正門側にはロータリーもある立派な建物(ただし雑草が伸び放題)
隣の鉄塔の柵に掲示されている看板の文字「椎柴無線中継所」で検索すると、下記の2つのブログに行き当たりました。
NTTドコモ 椎柴無線中継所 (旧 銚子無線電報局椎柴送信所(第二送信所)): ぷらぷら電話局めぐり
銚子市船木町 椎柴無線中継所 千葉県発二日酔いまでの後悔街道の2
さらに「銚子無線電報局」を検索すると 、Wikipedaに奥深い歴史が記されていて大変驚きました。
椎柴無線中継所はかつての銚子無線電信局の分局(送信所)で昭和14年(1939)の築。
本体の銚子無線電信局は明治41年(1908)、銚子市川口夫婦鼻(現在の銚子ポートタワー)に開局し、昭和4年(1929)に銚子市小畑に受信所を分離、その10年後に椎柴に送信所を移転し、1996年の閉所まで小畑・椎柴で事業を続けてきたとのこと。
その事業とは、太平洋・大西洋上の船舶を対象にした24時間365日の「モールス通信」で、戦前から豪華客船、貨物船、移民船をはじめとする日本や外国の大型船舶、日本の委任統治領であった南洋群島などとの通信拠点として、戦時中は太平洋全域からの日本軍の戦況を伝える拠点として使われたそうです。
戦後も日本や外国の客船、貨物船、移民船、遠洋漁業漁船団、捕鯨船団などとの交信を行い、1960年代には年間130万通を扱う世界一の無線電信局でしたが、通信衛星による衛星電話等の普及と電報取扱通数の減少により廃所となってしまいました(現在はNTT-MEの管理)
刻まなかったらスルーしてましたが次に訪ねる機会があれば、そばから建物を見たいと思います。