野尻古墳群6号墳は、前回の5号墳の南東500m程の道路脇に残っていた。
北側から。ピンが立っていなければ古墳とは分からなかっただろう。
そのすぐ隣も墳丘のようにみえたが「糞丘」だった。
海月牧場のしあわせ絆牛。
猿田駅を目指し、畑の中の道を進み始める。
少し進んで振り返って。中央が6号墳。
さらに進んで振り返って。左奥の塔と四角い建物は前回エントリの椎柴無線中継所。
その先で広域農道に出た。歩道がないのでトラックが通ると身の危険を感じた。
上記の橋から左手。
このあたりは頂部た平らな標高50mほどの台地に、こういった谷が木の枝型に入り込んだ地形になっている。
グーグルアースで見るとよくわかる。銚子市と旭市の東縁が樹状谷が入り込む台地上にあり、旭市の大部分は平地でかつては湖(椿海)だった。
橋から先へいくと道路沿いに「岩渕ファーム」
こちらを見る牛たち。
坂道を降りて相貌本線の猿田駅へ。
駅舎側から駅前を。
ホームの様子。
跨線橋から、古墳のあった台地方向を。風車のあたり。
東側、銚子駅までは2駅。
猿田(さるだ)の地名は、駅の300mほど西に鎮座する猿田神社に由来していた。
15:59発の千葉行に乗車。
9駅目の成東駅で東金線の大網行に乗り換え。
東金線ホームは「0」番線で、この日は朝の佐原駅の鹿島線ホームとあわせて2回も0番線から乗った。
4駅先の大網駅で外房線に乗り換えて、また4駅目の蘇我駅で京葉線に乗り換え、新浦安駅に着くまで、猿田駅から2時間以上。
この日は朝、鹿島神宮までの2時間40分、昼過ぎ鹿島神宮から椎柴まで1時間20分と合わせて計6時間、乗り鉄旅をたっぷり味わいました。
これで墳行ストック終了です。
緊急事態宣言が終わり次第、行きたい地は沢山あるのですが…
ウズウズしてます。