前回のつづき。
奈良の旅の最終日の朝。
外国の方々で混み合う朝食バイキングには早めに並んで”掻き込んで”、ホテルを出たら興福寺の五重塔に癒された。
台地の上の興福寺境内へ、素敵な石段を登る。
五重塔に並ぶ、国宝の東金堂。
中金堂の復元工事がかなり進んでいた。2年後には完成する。
かつてはここに南大門があった。台地の縁の見晴らしがいい場所。
東側には重文の南円堂。
国宝の北円堂は修復工事中だが平成28年度に完成予定。
南円堂の前の境内案内図。
境内に入る門は無く、建物は自由に外観できる。
古都奈良の雰囲気を味わった。
せっかくなので国宝館の阿修羅像も見たかったが、今回は9時の開館までは待てなかったので次の機会とした。
実は今回の墳行のガイドブック、まりこふんさんの著書「奈良の古墳」に”必墳”印のある気になる石室(牧野古墳)があり、広陵町教育委員会に連絡をして10時の”開墳”予約をしていた。
近鉄大阪線の五位堂駅が近そうだったので経路探索アプリで調べたら、JR奈良駅からとの指示だったのでそれに従う。
そこには2日前に来た時には気がつかなかった、端正な旧駅舎があった。
朝日を浴びる旧駅舎。中は現在奈良市総合観光案内所になっている(2015年12月にリニューアルオープン)
営業は9時からなのでまだ閉まっていた。
昭和ひと桁の竣工の貴重な建物だった。
以下は公式サイト奈良市総合観光案内所|奈良市観光協会公式ホームページより。
この建物は、大阪鉄道株式会社により初代奈良駅を継ぐ二代目駅舎として昭和9年に竣工。
外観・内部共に洋風と和風が組み合わされ、方形屋根には寺院を感じさせる九輪をのせ、四隅には風鐸が見られ、内部中央には大仏殿に見られる様な格天井が施されています。柱は洋風を意識し、柱から横に伸びる肘木は寺院を意識して組み合わされています。また 宝相華や忍冬唐草文様など古代文様の飾りが随所に用いられています。
連続立体交差事業により、駅舎の存廃について論議をよびましたが、市民をはじめ県民や観光客に親しまれ愛着が深かったことや文化的価値を踏まえ、保存される事になりました。保存の為に駅舎を解体せずに移設する「曳家工事」が行われ、駅舎を反時計周りに13度回転させた後、東北へ約18メートル4日間かけて移動させました。
スクラッチタイルの壁が美しい。角の丸みも優しい。土木遺産や近代化産業遺産の指定を受けている。
玄関前の天井。日本橋高島屋を思い浮かべた。
軒下の細工も凝っている。
屋根を支える垂木も丁寧に表現されている。
ガラス越しに見た内部。堂々とした組みものを乗せた朱の柱が立っていた。
灯りも当初のデザインか。夜の姿も見てみたい。
側面の三連窓。浮彫りが見事。
後ろ姿も美しい。
そのすぐ背後に現在の駅舎。
経路探索アプリでは、JR大和路線で郡山駅で下車し、近鉄の大和郡山駅に乗り換えとあったが、乗り換えと言うには無理があるほど離れている両駅だった。
つづく。