墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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佐紀石塚山古墳(成務天皇陵) 佐紀陵山古墳(日葉酢媛命陵) 奈良県奈良市山陵町

前回のつづき。

五社神(ごさし)古墳を見学したあと八幡神社を参拝し、石段前の踏み切りを渡ると古の風格の上り道があった。

 

 上っていくと右手が開けて墳丘と周濠が現れた。台地の縁の斜面に造られたことがわかる。

 

右手に墳丘を見ながら緩やかに上っていく。

 

左手に陪塚のような小丘も現れた。

 

上記の位置から振り返ったところ。

 

その先で道は二股に。古墳の間を抜ける右の道を進む。

 

ここが200m級の2つの大古墳に挟まれている周堤上の道。

どちらの古墳も後円部を北に向けていて、この先のカーブは左側に佐紀陵山古墳(日葉酢媛命陵:ひばすひめのみこと)の後円部、右側に佐紀石塚山古墳(成務天皇陵)のくびれ部をなぞっている。

 

左側、佐紀陵山古墳の後円部の北端。

 

右側、佐紀石塚山古墳の繁みから夕陽が差し込んでいた。

 

左側の佐紀陵山古墳の後円部墳丘には西日の名残りが。

 

上記の古墳のくびれ部では、造り出しが手前に突き出ていた。

 

グーグルアースだと位置関係がわかりやすい。

左の成務天皇陵(佐紀石塚山古墳:207m)のくびれに右の日葉酢媛命陵(佐紀陵山古墳:218.5m)の後円部がはまり込むような形で並び、さらに左下に稱徳天皇高野陵(佐紀高塚古墳:127m)が後円部を右に向けて、3つがパズルのように接している。

 

この密接度は日本一ではないか。

三つとも宮内庁により天皇・皇后陵に治定され、「佐紀三陵」とも呼ばれる。

 

天皇陵については宮内庁によるわかりやすいサイトがある。

-天皇陵-成務天皇 狹城盾列池後陵(せいむてんのう さきのたたなみのいけじりのみささぎ)

-天皇陵-稱徳天皇 高野陵(しょうとくてんのう たかののみささぎ)

 

これらの古墳は佐紀盾列(さきたてなみ)古墳群に含まれる。

 佐紀盾列古墳群 - Wikipediaの概要によれば、佐紀は丘陵の名前で、周濠を含めた敷地が「盾」のような古墳が列をなしている。

佐紀丘陵の南斜面に古墳時代前期後半から中期(4世紀末から5世紀前半)にかけて造られた巨大古墳群は200m超級だけでも7基。

この付近で前期後半の五社神古墳(276m)、佐紀石塚山古墳(220m)、佐紀陵山古墳(210m)の3基が一群を成す。

1kmほど東に古墳時代中期の市庭古墳(平城天皇陵:復元長253m)、ヒシアゲ古墳(仁徳天皇皇后の磐之媛命陵:219m)、ウワナベ古墳(仁徳天皇皇后の八田皇女陵墓参考地:205m)、コナベ古墳(仁徳天皇皇后の磐之媛命陵墓参考地:204m)の4基が集まる。

これらは初期ヤマト政権の王墓である可能性が高いとのこと。

 

古墳時代と、時代の名称にもなった「古墳」は、3世紀中頃からの「前期」に、奈良盆地の南東部の纏向古墳群、続けてそのすぐ北の大和・柳本古墳群で発展したが、そのエリアでの造営は5世紀初頭には衰退した。

その次に、4世紀後半からはここ奈良盆地北辺の佐紀盾列古墳群が隆盛をみるがこちらでも5世紀前半には下火になる。

古墳時代の「中期」となる5世紀では巨大前方後円墳造営の中心は奈良盆地から西へ、大阪府の古市・百舌鳥古墳群へと移って、古墳時代全体を通しての全盛期を迎えることになる。

最大規模の仁徳天皇陵(大仙古墳)は堺市の百舌鳥古墳群に属する。

堺市役所展望ロビーから望む仁徳天皇陵(大仙古墳) 大阪府堺市堺区南瓦町 - 墳丘からの眺め

 

 

そのまま進むと右側に、佐紀石塚山古墳の前方部の周濠が広がった。

右に前方部、左に遥拝所がある。

 

西側には生駒山があった。

 

そのまま成務天皇陵の遥拝所へ。閉じられた門の先では玉砂利きれいに整えられていた。

 

お馴染みの立て札。

 

周堤の西側は、ぎりぎりまで民家が建っていた。

 

上記の位置から西側。古墳がゆるやかな尾根の上にあることがわかる。

 

 

少し戻ってもと来た堤へ。この位置が佐紀三陵の3つの古墳が接するポイントになる。

右正面が佐紀高塚古墳、後ろに佐紀石塚山古墳、左に佐紀陵山古墳。

なんとぜいたくな場所。

散歩の方とすれ違う、人通りのある道だった。

 

その先へ進んで振り返ったところ。正面が佐紀陵山古墳。

 

そのまま佐紀陵山古墳(日葉酢媛命陵)の遥拝所へ。

 

成務天皇陵と比べるとコンパクトな遥拝所だった。

 

この佐紀陵山古墳(日葉酢媛命陵)は大正時代に盗掘を受けたが、事件後に宮内省による復旧工事が行われ、その記録が残っている。

類例のない構造の竪穴式石室や後円部墳頂の円筒埴輪列を巡らせた方形檀、大きな家形埴輪・蓋形埴輪などが確認されているそうだ。

奈良県立橿原考古学研究所附属博物館[大和の遺跡/古墳時代]

 

佐紀陵山古墳の周濠と前方部(右)、中央奥が佐紀石塚山古墳で、左が佐紀高塚古墳。

 

 道から見た佐紀高塚古墳の後円部先端付近(堤の奥)

この対岸の百数十m先に遥拝所があるが、行きそびれてしまった。

 

 古墳の森を抜けて南へ出ると、山上八幡神社。

 

扁額に白馬。

 

拝殿の天井には古そうな絵馬が数多く掲げられていた。

 

本殿の方向。そのすぐ後ろが佐紀陵山古墳(日葉酢媛命陵)の遥拝所になる。

 

帰りは大和西大寺駅まで歩いてみた。

 

ついつい脇道にそれてしまいながら。

 

日常が大切にされているように感じた。

 

穏やかな夕刻。

 

大きなショッピングモールもあった。

 

外国人観光客で溢れる「東大寺」とは対照的だった。

 

近鉄の車窓からの平城京太極殿。

 

近鉄奈良駅のカラフルな広目天。

 

この日の宿は、JTBのパックのホテルサンルート奈良。

商店街を歩いていたら、ブラタモリで見た興福寺への坂があった。

奈良の旅、2日目がやっと終了。

 

そして、今回でエントリの数が1000の大台になりました。

ちょっとした達成感があります。

ブログを始めたきっかけは自分の備忘のためで当初1年は非公開にしていましたが、そのままでは続かなかったと思います。

継続できているのは、みなさんに読んでいただいていることが励みになっているから。いつもありがとうございます。

次の大台に乗ることは無理ですが、できる限りは地道に続けていこうと思います。

今後ともどうぞよろしくお願いします。

まだ奈良の旅も1日分残っています・・・