前回エントリの埴輪列は、墳丘左側の内堤外縁に並ぶ円筒埴輪の向こう側に。
内堤の内縁の円筒埴輪列、その向こうに墳丘。前方部左裾側。
後円部側を。
今城塚古墳は全体が古墳公園となっていて、墳丘に上がることもできる。
墳丘左側の周堀から前方部側を。左に造り出しが見える。
公式サイトによれば、国史跡に指定されたのは昭和33年(1958)
指定面積は8.5haで、高槻市は約50年間をかけ、国や府の支援を受けながらほぼ全域を公有化したそうだ。
墳丘長は190mだが、二重の濠を含めた総長は約350m、総幅約360mを測り、531年に没した第26代継体天皇の真の陵墓と考えられている。
今城塚の名は、戦国時代に城砦であったことに由来するとのこと。
今城塚古代歴史館にあった100分の1模型。前方部が先端に向かって大きく開く形で、堀も末広がり形になっている。
模型は千葉県佐倉市の歴博にも。
※画像は google photo 経由なので、PCでしか見られません。
今残る墳丘には結構凸凹が。
後円部へ上がって、
墳丘には樹木が繁っているので眺望はその間からのみ。 後円部墳頂から南方向。
振り返っての前方部方向。
稜線上に園路が整備されているが樹木や表面の凸凹の多さにより、前方後円形の形を把握することは難しかった。
このあたりが前方部墳頂。
前方部墳丘から先端部側。堀のこちら側には水が張られている。
墳丘の右側面。すぐ先が造り出し。今城塚古墳には、くびれ部にほぼ左右対称に造り出しがある。
堀に降りれるので、その広さを実感できる。
上記の背面、堀の前方部側。
水を湛えた部分とは柵でしっかり隔てられている。整備が行き届いているので、小さなお子さん連れでも安心。
墳丘右側面の内堤から後円部方向。
堤のカーブが美しい。
そこから左へ目を移して。中央がくびれ部から出た造り出し。
前方部側へ移動して。
内堤の外側に、外堤が残る。
内堤はかなり幅広い。 木陰が気持ちよかった。
前方部右裾側の内堤角。
前方部先端側の堤上から墳丘右側の堀を。左が前方部で中央奥が後円部。
前方部先端側の内堤上。
前方部左裾側の角。
墳丘左側の堀を。
こちらは前方部先端側の堀を、左裾側の堤から。
先端は一直線ではなく、微妙に外側に膨らんでいるのが確認できた。
古墳公園にしては結構人出があり、日頃から親しまれている墳丘であることがよく実感できた。