墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

里塚古墳 埼玉県さいたま市西区宮前町

前回の宮塚古墳を訪ねた後は、熊谷駅で秩父鉄道からJR上野東京ラインに乗り換えて、東京方面へ。

途中で日進で同僚のお墓詣りをしてから西に歩き、グーグルマップにピンが立つ里塚古墳へ。

 

鴨川を越えた先の、さいたま市宮前小学校の西側、ゆるやかな斜面の竹林へ導かれた。

f:id:massneko:20201003095851p:plain

 

鳥居は斜面下側の八雲神社のもの。 

f:id:massneko:20201010145046p:plain

 

そこを背にしたところに大きな板碑。 

f:id:massneko:20201010145113p:plain

 

そこから竹林に入ると、すぐに小さな土盛りがあった。

f:id:massneko:20201010145136p:plain

説明板等は見当たらず(ネット上にも) 

 

竹林内を見渡したが、ほかに土盛りは無かった。竹以外の木が一本だけ。

 

 

墳丘は竹林の外側に道にも少し、はみ出ていた。

f:id:massneko:20201010145248p:plain

 

そのまま西に、西大宮駅へ向かう。国道17号の下を抜ける入口。

f:id:massneko:20201010154821p:plain

 

そこから右手、少し坂を上がったところに気になる石碑があった。 

f:id:massneko:20201010154951p:plain 

 

敷石供養塔とあった。敷石を供養するケースがあることを初めて知った。

f:id:massneko:20201010154921p:plain

 

隣の、小屋組みの下の石碑は読めず。

 f:id:massneko:20201010154903p:plain

 

その先の線路際にある方墳大塚古墳を再訪。

f:id:massneko:20201010155016p:plain

 

墳丘裾には、天保年間と明治時代の馬頭観音碑が埋もれながら並ぶ。 

f:id:massneko:20201010155217p:plain

 

道路は墳丘を避けて回り込む。 

f:id:massneko:20201010155244p:plain

 

墳丘の東側には新たにフットサル場が出来ていて、なかなかの賑いだった。

f:id:massneko:20201010155144p:plain