前回の壇場山古墳には陪塚(ばいちょう)が3基残っており、これらも国指定史跡に含まれている。
第3古墳とも呼ばれる山之越古墳は一辺約60mもある方墳。壇場山古墳の主軸線上、すぐ北西にある(四辺は東西ー南北に沿う)
駐車場の先に見えていた説明板。
山之越古墳(第3古墳)
山之越古墳は、大正10年、壇場山古墳、第1・第2古墳とともに第3古墳として国史跡に指定だれた。5世紀中頃の方墳で、壇場山古墳に次ぐ首長墓とされる。平成23年に姫路市が行った墳丘東部の発掘調査により、墳丘の一辺約60mで、周囲に幅15m程度の周濠が残ることが確認された。墳丘は北側を中心に大きく削平されており、中央に竜山産の凝灰岩製長持形石棺が露出している。石棺は、明治30年に開棺調査され、獣帯鏡、鉄刀、鉄剣、玉類が出土した。
平成24年3月 姫路市教育委員会
墳丘へ上がらせていただいた。
北側の家並みが見える。
南北軸の北寄りに、石棺が露出。
回り込んで斜面側から。
ぴったりと蓋がされていた。
突起の部分。
北方向の眺め。
北西方向。
西方向。
南方向。
南東方向。正面の木立が壇場山古墳の前方部。
パノラマで。
東方向。それほど高い墳丘ではないが、四方を見渡せる気持ちの良い場所だった。
北東の裾に石碑が見えたので降りてみた。
「大正十年三月 内務大臣指定」
少し引いた位置で。周溝は15mとのことなので、左右の民家は周濠内に建っていることになる。
壇場山古墳の説明板地図に、第1号墳(林堂東塚古墳)・第2号墳(櫛之堂古墳)も記されていたので住宅街をうろうろと。1号墳は、目の前の建物の向こう側になる。
きれいな朝顔。
こちらのお宅の奥か?
反対側から。小屋の後ろが墳丘のようでもあったが確認はできなかった。
後円部の南西側に記されていた第2号墳を目指す。できたての分譲地は、グーグルアースにはアパート棟がまだ建っていた。
そこから眺める壇場山古墳の後円部。古墳側にも道路が回っている。
分譲地エリアの北西端に新しい公園を見て、一瞬これがと思いきや、
その隣に墳丘が残っていた。
石碑とともに。
西側から。
南へ緩く下る坂から振り返っての壇場山古墳。
2019年11月上旬訪問。