墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

神明山古墳 白山愛宕山古墳(白山4号墳) 埼玉県行田市大字長野

前回の白山古墳を見た後は、すぐ南にピンが立っていた神明山古墳と白山愛宕山古墳へ。

 

太陽光パネルの向こうに見えた土盛りが神明山古墳。

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北側から。

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北西側から。 

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現地に説明板は無いが、すぐ先にあった埼玉古墳群・長野地区の看板に下記の解説があった。6世紀代に造られた直径44.4mの円墳とのこと。

神明山古墳
神明山古墳は、白山愛宕山古墳の北側に位置する墳丘が残る古墳です。正式な発掘調査は行われていませんが、平成28年(2015)に周辺の試掘調査を行った際に周溝が確認され、直径約44.4mの円墳であることが推定されています。
詳細な年代は不明ですが、試掘調査で埴輪が出土していることから、6世紀代に築造された古墳であると思われます。
残念ながら墳丘が大きく破壊されていますが、数少ない墳丘が残る古墳であり、貴重であると思われます。 

 

そのすぐ南の白山愛宕山古墳の墳丘は、道端にかろうじて一部(径39mあった円墳の中央部)が残っていた。 

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東側から。道路もちょっと除けている。 

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南側の離れたところに説明板があった。 

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墳丘があた場所が、白山愛宕山古墳歴史の広場として整備されていた。

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白山愛宕山古墳(白山4号墳)
道路沿いに墳丘の一部が残る白山愛宕山古墳は、埼玉古墳群に属する古墳の一つです。この古墳についてはこれまでに4回に渡る発掘調査が行われており、周溝の外径約39m、内径約26mの円墳であることが判明しています。発掘調査では、周溝内から円筒埴輪、朝顔形埴輪、人物・馬・鶏などの形象埴輪、土師器の坏・高坏・壺・鉢など、須恵器の甕・はそう・高坏などが多数出土しており、出土した須恵器の年代などから、稲荷山古墳とほぼ同時期の5世紀末頃に築造された古墳であると思われます。
白山愛宕山古墳は、稲荷山古墳などと共に埼玉古墳群の中では最初期に築造された古墳のひとつであり、埼玉古墳群の始まりや、近接する大型前方後円墳である稲荷山古墳との関係を考える上で重要な古墳です。残念ながら古墳の墳丘の大半が崩され、周溝部分にも道路等開発が及んでいますが、地元の方々や久伊豆神社の関係者の皆様のご協力を得て、今回古墳の一部を「白山愛宕山古墳歴史の広場」として保存・整備しました。
「白山愛宕山歴史の広場」となっているのは、右の図のように古墳南東側の約4分の1の範囲で、周溝を盛土保存し、周溝の内側と外側の位置をレンガで点線状に示しています。
令和2年3月 行田市教育委員会

 

地面をよくみるとレンガを埋めて、2重の円周(周溝の内径と外径)を表していた。

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上記の写真を撮った位置は旧忍川の土手であった。そばには埼玉古墳群・長野地区の古墳の解説があった。

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かなりの古墳があったことがわかる。今でも残るのは前回の白山古墳と、今回の神明山古墳、白山愛宕山古墳の3基のみのようだ。

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埼玉古墳群の長野地区の古墳
埼玉古墳群は、今から約1400~1500年前の5世紀末頃~7世紀前半にかけて築かれた東日本最大規模を誇る古墳群です。埼玉古墳群はさきたま風土記の丘の園中だけでなく、その周辺にも広がっています。
特に稲荷山古墳北側の長野地区白山・大下地域には、白山古墳・白山愛宕山古墳・神明山古墳が現存し、発掘調査等で他に8基の古墳跡の存在が確認されています。その他にも地元で伝承のある等未確認の古墳が7基あり、かつては多数の古墳がこの地域に存在していたものと思われます。
これら長野地区の古墳は、埼玉地区との境を流れていた旧忍川の流路部分に、古代に谷があったと考えられていたことから、埼玉古墳群とは別の白山古墳群の古墳とする考えもありました。しかしながら近年の発掘調査等で、稲荷山古墳北側の旧忍川の流路部分にかつて浅い窪地があったことが確認されると共に、それが埋まった後に古墳が築かれていることが判明し、長野地区の古墳も埼玉地区から続く埼玉古墳群の一部であることが明確になりました。
埼玉古墳群は稲荷山古墳を皮切りに、5世紀末頃~6世紀末頃にかけて埼玉地区に9基の大型古墳が築かれて行きます。平行して長野地区~埼玉地区北端部には、小型・中型の円墳が多く築かれます。そして7世紀前半には、大型の円墳である白山古墳と浅間塚古墳が長野地区と埼玉地区の古墳群の両端に築かれています。
埼玉古墳群と言うと、巨大な古墳ばかりが注目されますが、それと並行して築かれた長野地区などの小型・中型の古墳や白山古墳などについても目を向けて、古墳群全体の様相、性格について考えて行く必要があると言えそうです。

 

 

f:id:massneko:20201003090814p:plain白白山愛宕山古墳部分の説明。

白山愛宕山古墳は、稲荷山古墳の北東150mの位置にある円墳で、墳頂に愛宕神社が祀られています。本古墳については、4回にわたる発掘調査が行われており、直径約26mの円墳で、現在は墳丘の一部だけが残っていることが判明しています。
平成27年(2015)に行われた2回の調査では、古墳周溝の南西部に古墳へと通じる通路(ブリッジ)が造り出されていることが確認され、その南側の周溝墳丘寄りから土師器の坏・高坏・壺・鉢、須恵器の甕・高坏・はそうなどの土器がまとまって出土しました。また、周溝内の他の部分から円筒埴輪、朝顔形円筒埴輪、人物埴輪・馬形埴輪・鵜形埴輪などの形象埴輪が多数出土しています。これら出土遺物の年代や周溝内に5世紀末頃の群馬県榛名山二ツ岳の噴火で飛来した火山灰が堆積していたことなどから、この古墳は5世紀末頃に築造されたと思われます。

 

すでに削平された白山2号墳の説明。

白山2号墳は、白山古墳のすぐ南側に隣接する古墳跡です。平成5年(1993)に西側の一部が発掘調査されています。
調査の結果、本古墳は直径(周溝内径)約30mの円墳と推定され、古墳周溝の西部に古墳へと通じる通路(ブリッジ)が造り出されていることが確認されました。そしてブリッジとその両側の周溝から人物埴輪、馬形埴輪、太刀形埴輪・靫形埴輪・鉾形埴輪などの器材埴輪、円筒埴輪などが数多く出土しました。
これらの埴輪は、埼玉古墳群の多くの古墳と同様に、鴻巣市の生出塚(おいねづか)埴輪窯で作られたものです。同埴輪窯の製品は広範囲に供給されており、本古墳出土の頭巾をかぶった人物埴輪とよく似た埴輪が、東京北区の赤羽台4号墳から出土しています。
本古墳は出土埴輪の年代から6世紀末頃に築造されたと思われます。

 

白山2号墳出土の人物埴輪の写真部分。

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解説に「よく似た」と書かれている赤羽台4号墳の埴輪は、7年前に北区飛鳥山博物館で見ていた。 

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