墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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神領古墳群 鹿児島県曽於郡大崎町横瀬・神領

前回の横瀬古墳の1.4㎞北北東に神領(じんりょう)古墳群がある。

 

マップのピンを頼りにアプローチ。道幅の狭い集落内だったので邪魔にならない場所を探して車を停め、スマホで向きを確かめながら歩く。

写真の生垣の先、左側を入って辿り着けた(10号墳の南西側)

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進んでいくとこのような竹藪に。 

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振り返るとヤシの木も。 

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竹藪は密。 

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見学は難しいかと思いながら進んでいくと開けた場所に出た。左は養蜂の巣箱。 

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その正面に前方後円墳があった。左が前方部、右が後円部。

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墳丘の前で左を向いて。周溝がよく残る。 

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そのまま時計回りに進んだ。前方部右裾側から。

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前方部左裾側に回り込むと、くびれ部あたりに標柱が見えた。

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「神領古墳群10号」の文字が。 

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神領古墳群については、Wikipediaに詳細な解説があった。

標高20〜25メートルのシラス台地縁辺部の南北500m・東西400mに、前方後円墳4基の、円墳9基、地下式横穴墓8基以上存在することが確認されているが、前方後円墳4基のうち唯一前方部・後円部が残存するのが全長54mの10号墳とのこと。

 

昭和30年代に1号地下式横穴墓(竜相地下式横穴墓)が発見され調査が始まり、平成18~20年(2006~2008)に鹿児島大学総合研究博物館の調査隊が発掘調査を行い、10号墳墳頂から刳抜式舟形石棺が発見されている。

石棺石材は志布志湾岸産の溶結凝灰岩だが、「刳抜式船形」は熊本県や宮崎県北部などの九州中部地域に多い形なので、そこから来た”技術者”が作ったと考えられているそうだ。

 

また、墳丘西側くびれ部付近からは土師器や須恵器を用いた墓前祭祀跡が発見され、その須恵器は愛媛県伊予地域にあった「市場南組窯」産だったことがわかっている。

くびれ部付近からは多量の埴輪片も出土し、その中には眉庇付冑をかぶった「盾持人」があった。

鹿児島大学総合研究博物館のサイトに、その盾持人の写真(顔が写実的!)が掲載されている。

https://www.museum.kagoshima-u.ac.jp/

 

墳丘の狭い鞍部から後円部方向を。

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木々の間にカメラを入れて、後円部墳頂を。 

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墳丘の西側には、明るい林。

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その林側から後円部(左)と右へ伸びる前方部。

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後円部先端側から。

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後円部東側の土手上の箇所。

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その後、国道448号に出る途中の集落内の道沿いに墳丘のような高まりがあったが、古墳ではないようだった。

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検索していると鹿児島大学のサイトに付随する詳細マップに行き当たりました。とても参考になります。

https://www.museum.kagoshima-u.ac.jp/journal/2008/jinnryou-annai.pdf

 

自分は現地で案内板を見つけられず、グーグルマップの10号墳しか分かりませんでした…

 

また、「道の駅くにの松原おおさき」のサイトにも解説があり、そこには下記の文言が記されていました。

現在、神領古墳群は埋め戻されていて見ることは出来ませんが、国道220号線から大崎幼稚園方面へ進み、幼稚園前を通った次の三差路のところに案内板が建っています。

 

ストリートビューで辿ってみると、看板ありました!(読めませんが)

 

前出のWikipedia「神領古墳群」の項には、10号墳の出土物は、被葬者のバックボーンが畿内や瀬戸内、さらに南島などとの広域間交流にあったことを示し、”九州南部の古墳時代像に再考を迫るものとなっている”、とも記されていて大変興味深いです。